【第6話】 壊せない法
朝。
通知音が、静けさを裂いた。
画面に浮かぶ文字。
《暴行致死で男性逮捕 飲酒の影響も 報復権の行使による重刑適用》
見慣れた名前がそこにあった。
久遠 知重――。
画面には、ニュース番組の顔写真。
少しやつれた笑顔。
それでも、あの夜と同じ笑い方だった。
息が止まった。
(……まさか、あの久遠が。)
事故のあと、唯一そばにいてくれた男。
何も言わずに酒を並べ、
泣くことも責めることもなく、
俺を“人間”の側に繋ぎ止めてくれた。
◇
拘置所。
アクリル越しの久遠は、少し痩せていたが、
目の奥には静かな光が残っていた。
「……薫か。来てくれたんだな。」
「……ああ。」
「俺への叩き、すごいらしいぞ。
ニュースでもSNSでも、“正義が勝った”ってよ。
……俺が悪者になったらしい。」
笑いながら言うその声が、痛かった。
「……あの夜、ちょっと飲んでた。
でも、絡まれて……殴り返したら、相手が倒れて、頭を打った。
“酔ってた”ってだけで、もう全部悪者だ。」
「結果的に、手を出したのは俺だ。
“正義”の時代だ。誰かが傷つけば、誰かが罰を受ける。
それが今のルールなんだろ。」
久遠の言葉は静かだった。
だからこそ、胸に刺さった。
(……飲酒関係の事件に対し、改変したのは俺だ。
けど、それで救われた命もある。
酒に飲まれて壊れた家庭、奪われた命——
あの法で、それが減ったのも事実だ。
……間違ってなんか、ない。)
そう言い聞かせるように、息を吐く。
けれど胸の奥では、何かが確かに軋んでいた。
久遠の目が微かに笑った。
「大丈夫だ。俺は納得してる。」
その穏やかさが、何より恐ろしかった。
◇
法廷。
白い光の中で、久遠は立っていた。
傍聴席の空気が息を潜める。
《罪状:遺族による報復権の適用および飲酒下での暴行致死》
「被告、久遠知重。懲役百年。」
静寂。
久遠は数秒、動けなかった。
そして、唇が震えた。
「百年……か。
……ッ。まだやりたいことが山ほどあったんだ。
……あいつの喜ぶ顔が見たかった…。」
その言葉が、家族の声と重なった。
背を向け、鎖が鳴る。
扉が閉まる音が、俺の奥でずっと鳴り続けていた。
◇
夜。
部屋に戻ると、足元に小さな温もりがすり寄ってきた。
小鉄が、裾に鼻を強く押しつける。
「……お腹、すいたのか?」
声が、自分のものとは思えないほど穏やかだった。
まるで何事もなかった夜の帰宅のように。
テレビの光が壁を揺らす。
《新法下での初の重刑判決 “正義の時代”の到来か》
「SNSでは“真の正義が生まれた日”と称賛の声が相次いでいます!」
街頭インタビュー。
笑顔、拍手、スマホを掲げる群衆。
「やっと時代が追いついた!」
「悪は罰を受けるべき!」
「酔っ払いが人を傷つけるなんて、もう許されない!」
「被害者が救われた!当然だ!」
テロップが点滅する。
#報復の権利が正義を救う
#飲酒運転撲滅
#ありがとう新法
#正義の時代
続く報道が流れる。
《久遠被告の妻、体調を崩し入院》《子どもは学校に通えず》
コメントが続く。
「家族も同罪だろ」「血は争えないな」「正義の裁き、最高!」
(……俺の作った亀裂から、世界が静かに崩れはじめている。)
ニュースが切り替わる。
《裏金問題 追及見送り》《再就職協定 慣例で容認》《談合調査 継続審議へ》
同じ顔、同じ言葉。
「検討します」「誠意を持って対応します」「使命を全うします」
責任とは、居座る理由らしい。
(何十年も同じ顔、同じ言葉。
成果もなく、行動の実態もない。
それでも椅子には根が生えている。
もう、腐っているのに。)
(変わらないなら、切るしかない。
五十を過ぎて、まだ国の上にいる者は一度地面を歩け。
まともに民間で汗を流したこともないくせに、
民の声も知らずに法を語るな。
成果のない者、ぬるま湯に沈んだまま税を吸う者。
――それもまた罪だ。)
腹毛の毛繕いをしていた小鉄が顔を上げた。
金色の瞳が、光を映して揺れる。
秒針が、一拍早く動いた。




