【第4話】 反動
朝。
カーテンの隙間から光が落ちる。
小鉄の足音。いつもより静かだ。
テレビでは、同じニュースが何度も繰り返されていた。
《SNS誹謗中傷防止法、正式に施行》
《投稿履歴、全期間で本人照合可能に》
《匿名通報アプリ・モラルポイント制度、全国導入》
街の声は肯定一色だった。
「ようやく時代が追いついた」
「悪口で人を殺す奴は、罰を受けて当然」
正しいことが、正しいまま通っていく。
だが、その均整がどこか異様だった。
俺が、望んだ世界のはずだ。
……それなのに、何かが違う。
◇
出勤途中。
駅前の大型モニターには笑顔の市民。
《あなたの通報が社会を守る》
《一件ごとにポイント付与 正義で報われる国へ》
(……“いいね”の代わりに通報、か)
誰かを指差すことが、善意の証明になっていた。
その指の数だけ、拍手が増える。
笑顔の裏に、微かな焦燥が混じっていた。
会社に着くと、同僚がスマホを見せてきた。
「見ろよ、うちの部長も炎上中。“態度が高圧的”ってさ」
笑いながらスクロールする指。
薫は、笑えなかった。
ひとつの法を変えると、
その周りの法も形が変わる……。
……なるほど、そういう仕組みか。
◇
昼。
社員食堂の雑音が妙に耳についた。
「昨日のニュース見た? 隣の県の主婦、誹謗罪で逮捕だって」
「子どもがいじめられてたらしいけど、SNSで相手の親を晒したんだって。
やり過ぎはやっぱダメだよな。」
共感ではなく、報いを語る声。
誰かの不幸が、昼食の“おかず”になっていた。
スプーンを持つ指が微かに震えた。
世界が静かに“自浄”していく音がした。
◇
午後。
缶コーヒーを片手に、席へ戻る。
机の上には、朝に買った同じ缶がまだ残っていた。
(……疲れてるだけだ。)
そう言い聞かせて、微笑んだ。
その笑みの作り方を、少し忘れていた。
◇
夜。
机の上には、開きっぱなしの法学書。
赤い跡が、かすかに呼吸しているように見える。
(……また直すべきか?)
指を伸ばしかけて、止まる。
冷えた空気が肌を撫でた。
胸の奥で、鈍い鼓動が響く。
それが恐怖なのか、高揚なのか、自分でも分からない。
カーテンにもぐり、外を眺めていた小鉄が不意に駆け寄る。
鳴かない。
ただ、静かに薫の足に頬を押しあてた。
その温もりに、わずかな安堵を覚えた。
秒針が、また一拍早く動いた。
世界はまだ、静かに壊れ続けている。




