【第5話】 限界と決意
──翌日、
結斗は、世界の変化を
期待しながら事務所へ向かった。
結斗:
「田中所長、おはようございます!」
田中所長:
「おはよう。今日は早いねー。
何かいいことあった?」
結斗:
「はい。案件への向き合い方……
心の整理がついた感じです。」
田中所長は一瞬だけ結斗の顔を見て、
ふっと力を抜いたように笑った。
田中所長:
「そうか。それはいいことだね。
でも、くれぐれも無茶はしないこと。
仕事のこともだけど、心のことも、
何かに詰まったら何でも相談しなさい。
一人では間違いに気付かないこともあるからね」
結斗:
「ありがとうございます。」
少し間を置いて、
結斗は視線を外しながら切り出した。
結斗:
「田中所長……
今日もストーカーの案件は多いですか?」
田中所長:
「ん? ゼロだよ?」
意外そうでもなく、
むしろ当たり前のように答える。
「ストーカー法は、結構厳しいからね。
相談にくる以前に、
逮捕に至るケースも少なくない。
もちろん、すべてが悪意とは限らない。
でも、事態が深刻化する前に、
被害者を守ることが優先されるんだ」
結斗:
「そう、なんですね。」
一拍置いて、
いつもの調子で言葉を返す。
結斗:
「僕も、勘違いされないように、
気をつけて行動します。」
(……確定だ。
誰も助けられなかった人たちを、
守ることができた……。)
事務員がくすっと笑いながら口を挟む。
事務員:
「所長、気をつけてくださいね? フフッ」
田中所長:
「ちょっとちょっと、
前科持ちみたいな言い方、やめてくれる?」
肩をすくめて、
苦笑する。
田中所長:
「でも……
お互い気をつけような。」
事務所に、小さな笑いが落ちた。
結斗:
「田中所長、最近多い案件で、
解決が難しいのは、どういうものが多いんですか?」
田中所長:
「なになに? 解決してくれるの?」
冗談めかした口調で、
少しだけ身を乗り出す。
田中所長:
「んー……、そうだな──」
少し考えてから、
言葉を選ぶ。
田中所長:
「最近で言えば……
ニュース記事でもよく見かけるようになった、
クチコミサイトでの、名誉毀損とかかな。」
結斗:
「確かに、よく記事で見かけますね。
投稿者の特定は、出来ないのですか?」
田中所長:
「その情報は運営会社が握っていてね。
信用問題にも関わるので、個人情報を安易に売るような真似はまずしない。
例え、通報したところで
『個人の感想です』
『それが嘘だという絶対的な根拠がないと削除できません』
……って返答がくるのがオチだね」
結斗:
「現時点では、
我慢するしかない。
……ってことですね。」
(黙認しているのなら、
運営会社にも、問題があるのでは……?)
田中所長:
「表現の自由ってのはね、
人を守る盾でありながら、
同時に人を傷つける武器にもなる。」
少しだけ声を落とす。
田中所長:
「……なんとも、皮肉な話だよ。
残念ながら、
時間とお金という労力を考えると、
我慢する。
……というのが、リアルなところだね。
──悔しいだろ?」
結斗を見て、
静かに続ける。
田中所長:
「でも、我々は法の中で出来ることを
全力でやるしかないのが、現実だ。
……昔は私も、
自分の無力さを、憎んだものさ。」
事務員は何も言わず、
机に置き去りになったままの、書類を見つめていた。
それ以来──
結斗は、
法に触れれば触れるほど、
この世界に、違和感を抱くようになっていった。
与えられた仕事を淡々とこなしながら、
法とは何かを、考え続けていた。
(僕は、正しい人を……守りたい。)
真弓:
「──?
──くん?」
結斗:
「──えっ?
ああ、ごめん。
ちょっと……考え事を、しててね。」
真弓:
「難しい顔してたから、
どうかされたのかと思いまして。
何か、ありましたか?」
結斗:
「んー……。
ここ最近、よく耳にする
ネット上での誹謗中傷について、
引っかかっててね。」
真弓:
「そうですね。いまや誰もが違和感を
抱いている問題かと思います。」
結斗:
「この問題、
形だけで、法がうまく機能していない気がして
……ね。
白石さんは、どう思う?」
真弓:
「正直、これは欠陥法と言っても
過言ではないと思います。
私の行きつけの店も、
事実無根のクチコミで炎上し、閉店に追い込まれました。
最終的には名誉毀損が認められ、
クチコミは削除されたようです。
──ですが、もう店は戻りません。
被害者は人生を壊され、
加害者は数十万の罰金。
おかしいとは、思いませんか?」
結斗:
「──たしかに。
まったく、罪と罰が釣り合ってないよね。
やはり……身近にもあるんだね。
こういう、理不尽なことが。」
真弓:
「人生をかけて作り上げたものが、
誰かのストレスの捌け口で潰される。
そんなこと、許されるはずがありません。」
結斗:
「そうならない為には、
特定やフォローを迅速に行う必要があるけど──。
現状の法では、不可能……か。」
真弓:
「投稿者の責任は、確かに重要だとは思います。
──ですが、
私は、その状態を黙認している
運営会社に、一番原因があると思います。
生徒がいじめられているとき、
校内の問題を、先生が黙認しているようなもの。
見て見ぬふりは、罪です。
それが自分の環境下にあるなら、尚更です。
──あっ、すみません。
このあと、田中所長とミーティングがありますので、
失礼します──。」
結斗:
「あ、……ありがとう。」
(白石さんはやっぱり、芯がブレないな。
よし……
これで、何をどうすべきかは見えた。
次は──。)
──自宅にて。
結斗:
「ただいまーっ!」
母:
「おかえり、結斗。
あら、仕事は順調のようね?」
──ゴホッ
結斗:
「まだ、体調治ってないんだね。
ご飯は自分で用意するから、
ゆっくりしておいてね。
──あれから、
アイツは来てない?
……大丈夫?」
母:
「ええ、心配いらないわ。
あれから、一度も姿を見せてない。
気にかけてくれて、ありがとう。
でも、今は大切な時期だから、
自分のことだけを、考えなさいね。」
結斗:
「……それならよかった。
お母さんも、たまには自分のことを
一番に考えてよね。
僕も、社会人になったんだから。ね?」
母:
「ふふっ。
結斗も言うようになったわね。
……ありがとう。」
結斗は自室に戻ると、
食事のことを考える間もなく、本を開いた。
同じ数行を何度も、
確かめるように、読み返した。
結斗:
(ここだ……これで。)
青い光が滲み、
二行の法文が静かに崩れ落ち、消えていく。
──カンッ。
遠くの方で、何かの音が鳴った
──気がした。
──続く──




