【第4話】 正義の目覚め
事務所では、
いつものように、手慣れた仕事が淡々と進んでいた。
コピー機の低い駆動音と、紙を揃える乾いた音だけが響く。
田中所長:
「またかあ……。
社会的ストレスも原因だろうけど
一度は愛し合った仲のはずなのに。
……なんともねえ。」
結斗:
「所長、どうかされたんですか?」
田中所長は、手元の書類から目を離さず、軽く肩をすくめた。
田中所長:
「いやね、相変わらずDV案件が多いなって思ってね。
まあ、DV案件は比較的スムーズに解決できるから、被害者を救えて嬉しいんだけど──。」
結斗:
「……え? 先日、立証が難しいと言われてたと思いますが?」
ペン先が一瞬、止まる。
田中所長:
「ん? 簡単に録音できる時代だよ?
DVなんて一発で証拠揃ってアウトさ」
結斗:
(おかしい……。
確かに、解決しにくい案件だと言っていたはず……
……僕の聞き間違いだろうか。
でも──)
結斗は言葉を選びながら、慎重に続けた。
結斗:
「継続的に証拠を取らないと、立証できないと思いますが……」
田中所長:
「DV案件はね、一回でも行為が確認されれば、即アウトになるんだ。
考えてみなさい。
一回だけだからと放置していたら、その間に事件になるかもしれないだろ?」
結斗:
「……はい。確かにそうですね。
手遅れになるケースも、実際に出ているわけですし……。」
(どうなってるんだ……。
確かに、継続的な証拠が必要だったはず。
現にそれができたなら……。)
結斗はその違和感を胸の奥に押し込め、
一日の仕事を終えた。
結斗:
「白石さん、今日一緒に帰らない?」
真弓:
「どうかされましたか? かまいませんよ。
もう少しで切りが付くので、少し待っていただけますか。」
◇
──帰り道。
夕暮れの街を、自転車を押しながら二人で歩く。
結斗:
「白石さん、DVの案件ってほんとに多いよね。
今って、録音とか証拠があれば一発でアウトだったよね?」
真弓:
「そうですね。
一時を争うこともありますから、
基本的には証拠があがれば、即立証できると思います。」
結斗:
「でも、もしかしたらその証拠は、
長い生活の中の、ほんの一部の切り取りかもしれない。
継続的な証拠が必要だとは……思わない?」
真弓:
「確かに、それもあるかもしれません。
けれど、偶然の一回を録音できる。
──そんな都合のいいこと、ありますか?」
少しだけ、間を置いた。
真弓:
「一回ではなく、複数回しているからこそ、
録音する機会が生まれる。
だから、例え証拠が一つだとしても
複数回している可能性が高いと思います。」
真弓は、迷いなく言い切った。
真弓:
「今のこの法律。
私は、助けを求める被害者が実際に救われて、とても正しい法律だと思います。
何も間違っていません。
……そうは、思いませんか?」
結斗:
「そうだね。
これが法律の、あるべき姿だよね。
人を守ってこそ、法律……。」
小さく息を吐く。
結斗:
「ありがとう、白石さん。
なんか、すっきりしたよ」
真弓:
「どういたしまして。
これからも、私たちに出来る限り
困っている人を助けましょう。」
一瞬だけ、視線を伏せてから。
真弓:
「悪は、罰せられるべきです。」
二人はそこで別れ、それぞれの家路についた。
◇
結斗:
「ただいまー。」
母:
「ゴホッ……ゴホッ……。
あぁ、おかえり結斗。」
母は咳をこらえるようにして、
無理に笑顔を作った。
母:
「母さん、ちょっと風邪ひいたみたいでね。
うつしちゃうと悪いから、早く自分の部屋に行きなさい。
あとでご飯、持っていってあげるから。」
結斗:
「大丈夫?
あとで僕が家事やっとくから、無理しないでね。」
母:
「ありがとう、結斗。
……そうさせてもらうわ。」
──自室にて。
結斗:
(……確実に、法が変わった。
なんでだ? もともと、この法律には違和感があった。
でも……そんな都合よく……。)
机に向かい、ふと手が止まる。
結斗は先日、法文をペンで塗りつぶしたことを思い出した。
(……あのときは、確かDV案件でモヤモヤして──。)
再び本を開き、 塗りつぶしたはずの箇所を探す。
この言葉さえなければ、と思って消した言葉。
【継続的】
だが、その言葉は、
法文のどこにも、
──見当たらなかった。
(なんでだ……?
確かに塗りつぶした……はず……。)
──。
(……塗りつぶした……から?)
──。
(そんなこと、あるはずがない……。)
一瞬、迷ったあと、
結斗はページをめくった。
(……それなら。)
結斗は、とある法文の中の
【反復】
という言葉を、
確かめるように、ゆっくりとペンで塗りつぶした。
──次の瞬間。
【反復】という文字が、淡い青色に光り、
紙面から剥がれ落ちていく。
結斗:
「……っ!」
無意識に、息が止まる。
(こんな事が……あっていいのか?)
だが、胸の奥で、別の感情が膨らむ。
(……もし、これが本当なら。)
指先で握ったペンが、わずかに震えた。
救われない人がいるなら、
僕が――。
──続く──




