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【第2話】 正義の声

朝。

ぬるくなったごはんの湯気が、まっすぐ天井に消えていく。


「おい、早く食べないと冷めるぞ」


誰に言うでもなく、つぶやいた。

テーブルには三膳の箸。自分の分と、あと二人分。


「……いただきます。」


味はする。けど、温度も、香りも、どこか遠い。



スマホのニュースが目に入る。


《デマ拡散で炎上 被害を受けた店舗、営業停止に》


画面には笑顔で店先に立つ男性の写真と、燃え盛るコメント欄のスクリーンショット。見出しの下には、小さく店の事情が並ぶ——。店は一夜にして営業を止め、客足は戻らず、借金が膨らんだ。


“投稿者は特定されず、捜査は打ち切りに。”


その一文が、ニュースの下に淡く光っていた。


“表現の自由”と“個人情報保護”——


どちらも、人を守るためにあるはずの言葉。

だが、その「自由」と「保護」によって、

一人の人間の生活が壊れ、家族が崩れ落ちたという現実がそこにあった。

どこまで保護するのか。

その境界を決められない社会が、いちばん危うい。


ふと、棚に置かれた古びた一冊が目にとまる。事件のあと、衝動的に買った法学の本だ。


「法は人を守るためにある」


——その一文を信じたかった。


本を開く。

《第二十三条 表現の自由》

文字が、まるで自分をあざ笑うように見えた。


「人の人生壊しておいて、裁けないのかよ……」


ぼそりと吐き捨て、

そのまま“表現の自由”の文面を指でなぞる。


ページの一行が、じわりと赤く染まった。インクが脈を打つように浮き上がり、わずかに震える。


──カンッ。


乾いた音が、耳の奥で炸裂した。脳の奥を走る電流とともに、心臓の裏を、焼けるような細い針でゆっくりなぞられたような痛みが走る。


「っ……!」


指先が痺れ、全身が一瞬だけ硬直する。意味そのものが動いた感覚。恐る恐るページを閉じた。何も起きなかった


——その時は、そう思った。


その直後、足元で小鉄が不意に目を細めた。

ほんの一瞬だけ、異質な空気が差し込む。



翌朝。出勤途中。

コンビニ前の大型モニターに人だかりができている。

《速報:SNS誹謗中傷 被告人に死刑判決》

昨日見た、炎上事件。無罪だったはずの男が、今は“死刑”として報じられている。


画面下の赤いテロップ。

《逆転死刑 SNS発信の責任を重罪と認定》


(そんな法律……あったか?)


不意に、あの“カンッ”が頭の奥で疼いた。

音ではない。痛覚だけの記憶。

胸の裏で感じた、焼けるような針の感触が蘇る。


胸の中のざわめきが形を取り始める。

思い返す。昨夜、ページをなぞったときの感触。赤く滲んだ文字。手の痺れ。


「……ハッ。俺がやったのか。」


その声に震えはなかった。静かな確信だけが残った。



職場。いつも通りの会議。同僚たちはSNSの話題で盛り上がっている。


「昨日のやつ見た? 他人の人生おもちゃにしたやつは、殺されて当然だよな。」


その言葉に、胸の奥がざらついた。笑う彼らの顔が、どこか異様に見えた。



夜。

久遠からメッセージが届いた。

《無理すんな。酒、冷やしといた。……いつでも来い。》

画面の文字が滲んだ。

あいつは多くを語らない。

けど、あの短い文だけで少し救われた気がした。


「……ただいま、小鉄。」


足元に顔をこすりつける小鉄。

その瞳が、ゆっくりと瞬く。


「ほら、お腹すいただろ?」


小鉄が喉を鳴らす。

薫はふっと笑って天井を見上げた。


(……これで、少しは報われたのか?)


呼吸を整え、目を閉じる。

胸の鼓動が、ひとつ早く、世界を打った。


裁きを受けさせてやる。……絶対に逃がさない。


その夜、風が静かに窓を叩いた。

胸の奥で、静かに脈打つものがあった。


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