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LAW ORIGIN —— 見えざる法のはじまり ——  作者: おまる
第2章:ラル編 ─ LAW MAKER ─
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【第6話】 記録の法 ― 消える名前 ―

薄い雨が上がった直後の路地は、

空気ごと冷たさを残していた。


夕日の残り香が水たまりに滲む。


そこに横たわる小さな体は、

まるで眠っているかのように静かだった。


薄い毛布の隙間からのぞく小さな手は、

古びた布にしがみついている。


ラルは息をのんだ。


ユラはそっとラルの肩に手を置いた。


行き交う人々は買い物袋を提げ、

何事もないように通り過ぎていく。


足は止まらず、

視線だけが宙を彷徨い、

言葉はどこにも届かない。


「この子……誰の子なんだろう……」


その声は、ユラ自身への問いのようだった。


ラルは小さな靴を拾い上げ、

泥をはらい落とした。


「……名前もないまま、

消えていくような人が……

この世界には、まだいるんだね。」


ユラは何も言わなかった。

ただ、そっとラルの手を握った。


二人の間に、

言葉にならない決意が静かに芽生えた。


――もう二度と、

誰も名も記憶も失ったまま消える世界にはしない。



夜。


ラルは深く息を吸い、

“どうすればこの子のように名前を失う人をなくせるか”

を考えた。


そして、ほんの少しだけ眉を寄せる。


(……名前が残らなかったら……

また誰かが“いなかったこと”にされちゃう……)


(……お願いだから、ちゃんと名前を残して……

そのためには……少し強く書いておいたほうがいいよね……)


それは、ラルなりの善意だけの判断だった。


《第89条 記録の法》

すべての命は、その名とともに必ず記録されるものとする。

記録を拒んだ場合、その者は法の保護を受けることができない。


「……これで……誰も見落とされないはず……。」


ページを閉じ、そっと息を吐く。


──カンッ。


淡い光がノートの縁から走り、

夜の街へ静かに広がっていった。


その光は、祈るようにやさしかった。



翌朝。


街の掲示板には、新しい法が貼り出された。


《記録登録義務、正式施行》


人々はざわめきながらも、

書類を抱え、役所へ列を作っていた。


戸惑い。

沈黙。

少しずつ整っていく流れ。


ラルは通りの片隅で立ち止まった。


昨日まで子どもの声が響いていた家の前に──

ぽっかり空き地があった。

土の匂いだけが、昨日の家の面影をかすかに残していた。


どこを見ても、その家の名前を口にする人はいない。


笑顔で通り過ぎる人々。

まるで、最初から“何もなかった”かのように。


「……どうして……?

昨日まで……あの家……あったのに……」


近くを通る人に声をかける。


「ねえ……ここに住んでた……あの家族、知ってる?」


「ここ? ずっと空き地だよ?」


「誰も住んでなかったよ?」


答えはどれも同じ。


ラルの喉がきゅっと詰まった。


(……そんなはず……ない……

子どもの声……聞こえてたのに……)


風が貼り紙を揺らす音だけが響く。


ラルは震える手でノートを開いた。


ページの隅で、

脈を打つように光が揺れた。


(……まさか……

記録されなかった命は……

名前ごと……この世界から……?)


言葉は続かなかった。


震える手でページをめくり、

新たな文字を書き足す。


《記録の法 改訂案》

誤って除外された記録を修復し、

その者の存在を再びこの世界に結ぶこと。


「……戻って……お願い……!」


声が掠れた。

文字がにじみ、光が暴れ出す。


「お願い……もう一度──!」


紫の光が爆ぜた。


世界が、白く染まった。


「……あ……れ……?」


ラルは目を覆った。

光が痛い。


世界の輪郭が滲み、

揺れながら遠ざかっていく。


――そして、意識が途切れた。


ラルの体が崩れ落ちる。


ノートが手から滑り落ち、

石畳に「ぱたん」と音を立てて開いた。


淡い光だけが、鳴き声のように揺れていた。



同じころ。


ユラは学校からの帰り道を歩いていた。


夕方の通りはまだ賑やかで、

店じまいの声や子どもたちの笑い声が混じっていた。


角を曲がると、ざわめきが耳に飛び込んだ。


人だかり。


胸の奥がざわつく。

ユラは思わず駆け出していた。


「……っ、ラル……!」


石畳の上。

ラルが倒れていた。


呼吸は弱いが、確かに生きている。


ユラは膝をつき、抱き起こした。


「ラル……聞こえる……?

お願い、返事して……!」


そのとき──


ラルの腕からノートがすべり落ちた。


ぱら、と開いた紙面に、

淡い紫の痕が揺れていた。


ユラは息を呑む。


(……なに……これ……

文字が……光ってる……?)


周囲の大人たちが駆け寄る。


「診療所へ運ぼう!」

「板を持ってくる!少し待って!」


ユラはノートをそっと閉じ、

ラルの胸に戻した。


「……ラル。

大丈夫……。

必ず助けるから。」


木の平板にラルを乗せ、

ユラと大人たちは診療所へ駆け出した。


風が、ふたりの背中を押すように流れた。



次に目を開けたとき、

白い天井がにじむように視界へ入った。


「……ここ……病院……?」


かすれた声でそう呟くと、

すぐ隣から、ほっとした息が聞こえた。


ユラがラルの手をぎゅっと握っていた。


「……ラル。

倒れているあなたを見つけたとき……

本当に……胸が締めつけられたのよ。」


言葉を抑えながら、

ユラはメガネの位置をそっと整えた。


ラルは天井をぼんやり見ながら、

ゆっくり口を開く。


「……光が……まぶしくて……

急に……全部、見えなくなったの。」


ユラは一度だけ、小さく息を呑んだ。


そして声を落として続ける。


「先生は原因がわからないって……。

でも、ラル……

あなた、最近……ずっと苦しそうだったのよ。」


ユラの胸が、理由もなく強く痛んだ。


ラルは微笑もうとしたが、

唇がかすかに震えた。


「……だいじょうぶ……だと……思う……。」


窓の向こうでは夕日が沈み、

白と紫が混ざる光が、

ラルのまつげに反射して静かに揺れた。



この世界は、まだ未完成のまま息をしている。


そしてラルの瞳の奥では、

消え残った光が

それでもかすかに燃え続けていた。

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