【第4話】 違いを受け入れる法 ― 和を以て貴しと為す ―
まだ法が整っていないこの世界では、
今日も法学校で授業が行われていた。
窓から差し込む光は淡く、
紙の上の文字がゆらいで見える。
講師が黒板に手を置きながら言った。
「……人の考え方は、環境や年齢で違う。
何が“正しい”かは、その人の立場で変わる。
だから、どれも間違いじゃない。
けれど、ときどき……その“正しさ”同士がぶつかってしまう。」
教室の空気が静まり返る。
「今の時代は、その時どうすればいいか……
まだ誰も答えを持っていない。
だからこそ、法学校の生徒である君たちも考えてほしい。
――どうすれば、人は分かり合えるのかを。」
一瞬の沈黙のあと、講師は静かに微笑んだ。
「人は、必ず分かり合える。
そう――必ず。」
その言葉が、ラルの胸に小さな光を落とした。
ほんの一瞬だけ、視界の霞が薄くなる気がした。
◇
放課後。
ラルとユラは学校の前の道を歩いていた。
広場の端で、激しい言い争いが起こっていた。
「壊さないと、街が前に進かないんだ!」
「思い出を残さずに、何を未来に語るんだ!」
一人の少年が、必死に間に入っていた。
「でも……どっちも、この街のために言ってるんだよね?」
二人は少年を見たあと、どちらも視線を逸らした。
ユラが静かに呟く。
「……正しい人と正しい人が争うのって、
一番むずかしいね。」
ラルは頷きながらも、
ほんの少しだけ首を傾げた。
「うん……でも、“正しい”って、
同じ形じゃないのかも。
たぶん……見てる景色が違うだけなんだと思う。」
風が二人の間を通り抜ける。
その風を追うように、
ラルはほんの一瞬だけ、かすかな鼻歌を洩らした。
◇
数日後。
ラルは街のいろんな場所を歩いていた。
胸の中のもやが晴れないまま、
人の声を確かめるように。
市場では、商人と客が小さな口論をしていた。
公園では、古い遊具を撤去するか残すかで町内会が揉めていた。
通りの先では、新しい建物の建設に反対する老人たちが集まっていた。
どれも、誰かを想った“正しさ”だった。
(……みんな、相手のことを知ろうとしないんだ)
ユラの言葉が胸に蘇る。
「……言葉だけで分かり合うのって、本当に難しいね。」
(……同じ場所で、同じ風を感じないと、
本当の意味では……分かり合えないのかも。)
◇
夜。
ラルはノートを開き、ペンを握った。
《第93条 違いを受け入れる法》
人は、互いの違いを語るだけでなく、
その立場に身を置き、
同じ景色を見ようと努めなければならない。
理解は言葉ではなく、体験によって深まる。
(……うまく言えないけど……
ちゃんと“見ようとする気持ち”が大事なんだと思う……)
──カンッ。
視界がふわりと揺れた。
ラルは目をこすった。
「……あれ? なんか……変?」
風が頬を撫で、霞はすぐに収まった。
紫の光がノートの上に生まれ、
それから少しして、街の空気が変わり始めた。
◇
老人の一人が、若者の工房を訪れた。
冬の風が吹き込む作業場。
若者たちは黙々と鉄骨を磨いている。
老人は震える声で言った。
「……寒いな。」
若者が笑う。
「ええ。でも、ここで作る屋根が、
誰かの冬を軽くしてくれると思うと……
少しだけ暖かいんです。」
その言葉に、老人の目が細くなった。
逆に、若者が古い家を訪れた日もあった。
沈む床。
焦げ跡のある壁。
そして、一枚の古い写真。
炎の中で、誰かを抱く男の姿。
「この場所は……?」
「避難所だった。最後まで残った人たちのな。」
若者は何も言えず、ただ頭を下げた。
「……こういう場所、他にもあると聞きました。
だから……せめて、形に残せないでしょうか。
たとえば、石碑とか。
みんなで作る形で。」
震えてはいたが、真っすぐな声だった。
老人はしばらく空を見上げ、静かに頷いた。
「……そうだな。
しっかりと皆の手で形にするのも……悪くない。」
若者の肩がわずかに震え、安堵の息が漏れた。
やがて、広場の片隅に慰霊碑が建てられた。
古い瓦と焼けた梁。
いくつもの家の記憶を集めて組み上げた碑だった。
石には刻まれていた。
『勇気ある人々の祈りをここに刻む』
老人が碑に触れ、微笑んだ。
「……前を向けるよ。ありがとう。」
若者は小さく頷いた。
「俺たちも……守ることの意味を知りました。」
風が碑を撫で、光が隙間を通り抜ける。
ラルは少し離れた場所から、その光景を見ていた。
静かにノートを閉じる。
「……本当は、みんな悪い人じゃないんだ。
それぞれの思いが、ときどきぶつかるだけで……。」
紫の光が碑のすき間を通り抜け、
ゆっくりと空へ昇っていった。
ラルはその光を見上げ、胸の奥で小さく呟いた。
(……これで、少しでも分かり合えるようになったら……いいな。)
──ふと、昔の夜の匂いが蘇る。
崩れかけた家。
母の声。
助けを呼んでも、誰も来なかった。
法も記録も、何もなかった。
(……だから、もう二度と……
あんな世界にはしない。)
ペンを握る手に、そっと力がこもる。
「うん。変えられる。少しずつでも……♪」
光が風に溶けていく。
世界の色が、ほんのわずかに明るくなった。
遠くの屋根の上で、一匹の猫がこちらを見ていた。
尾をゆっくりと揺らしながら、静かに瞬きをした。




