【第2話】 欲の罰 ─ 願いじゃ届かない命 ─
朝。
まだ夜の冷たさを残した風が、校舎の窓を叩いていた。
ラルは鞄の奥からノートをそっと取り出す。
ページの隅に、淡い紫の痕が残っていた。
「……あの花、
ノートの言葉をなぞったタイミングで開いたよね……。」
声にすると、胸がじわりとざわめく。
「あのときの感じ……
何かが体の中を、すうって流れたみたいで。」
ページに触れた指先が、ほんのわずかに温かかった。
「……もし、また同じことが起きたら……。」
ノートを胸に抱き、そっと閉じる。
外の空が、薄く白み始めていた。
昼下がり。
校庭の向こうから、ざわめきが起きた。
人だかり。
焦った声。
地面に倒れた生徒を囲む輪。
ラルは一瞬、息をのんだ。
「……え? 大丈夫なの……?」
生徒の顔は真っ青で、先生たちは血の気を失っていた。
誰もどうしていいかわからず、その場が凍りついている。
救急は遅れるらしい。
胸が締めつけられる。
──どうしよう。
何か、できること……。
そのとき。
昨日、花が光に変わった光景がフッとよぎった。
「……もしかして……
あのときみたいに、“言葉”をなぞれば……?」
震える手でノートを開き、ペンを握りしめた。
胸の奥がぐっと熱くなる。
世界の音が遠のき、風の気配が止まる。
耳の奥で、かすかな声。
……カ……ンヲ………ルナ……
意味は分からない。
けれど、“やめろ” と警告されているように聞こえた。
「――お願い。」
震える手で書き出す。
《命を繋ぐ法》
淡い紫の光が走り、
空気が一瞬、止まった。
風も、音も、すべてが静止する。
ラルの瞳に光が映る。
けれどその光はすぐに濁り、黒く滲んで消えた。
“カン”は鳴らなかった。
ノートの文字が灰色に崩れ、
世界の音が一気に戻る。
教師の叫び。
AEDの電子音。
沈黙。
ラルはノートを抱えたまま立ち尽くした。
世界は、何も変わらなかった。
「……なんで……あの時みたいに動かないの?」
ノートの端に微かな紫の光が灯り、
ふっと弾けた瞬間、視界が揺らぐ。
まぶたの裏に、じんと痛み。
世界の輪郭が、ゆっくりと霞んでいく。
「……どうして……こんなに、ぼやけて……」
その瞬間――
背後に、誰かの“気配”が立った。
風の流れが反転する。
耳の奥で、今度ははっきりと声がした。
――『価値観を押しつけるな』
ラルは息を呑んだ。
確かに“誰か”が言った。
けれど振り返ると、そこには誰もいなかった。
足音。
今度こそ、本当にユラだった。
「……さっきの子、亡くなったみたい。」
ユラの声は静かだった。
でも、その奥底に深い悲しみがあった。
「どうやら……いじめが原因だったみたいなのよ。」
風がふたりの間をすり抜ける。
「……あの子にとって、
助けられることが救いだったのか、
それとも……これで救われたのか、
わたしには分からないけど。」
ユラは空を見上げて、
メガネに指をそっと添えた。
「……難しいね。」
ラルは顔を上げられなかった。
滲む世界の輪郭は、まだ戻らない。
ノートの端で、淡い紫の光が揺れ、
また小さく弾ける。
輪郭が、ふっと揺らいだ。
この世界は、まだ未完成のまま息をしている。
そしてラルの胸の奥でも、
小さな問いが、答えを探し続けていた。。




