【第10話】 崩れゆく輪郭
朝。
フェニックス事件のあとも、俺は改変を続けていた。
救うつもりで書いた法は、いつの間にか別の誰かの正義にすり替わっていく。
裁けば称賛され、救えば利用された。
「法」が「遊び道具」に変わるまで、時間なんてかからなかった。
◇
夕方。
窓の外で、遠くのサイレンが重なり合う。
ニュースは同じ言葉を繰り返した。
《“正義”を掲げた過激派、各地で同時蜂起》
《通報アプリ連動の私設警備隊、衝突拡大》
《無関係の通行人も巻き込まれる被害続出》
(……もう誰も止まらない。)
画面の隅で炎が跳ねるたび、心臓の拍が一つ抜け落ちる。
◇
机の上。
開きっぱなしの法学書。白い余白がこちらを見返す。
(鎮める。いったん、全部を鎮める法だ。)
指を伸ばす。
赤がじわりと滲む——が、輪郭を結ばない。
線になる前に、温度だけを残して消える。
もう一度。
今度は強く、紙に指を押し当てる。
赤は揺れ、集合しかけて、空気にほどけた。
「……動けよ。」
紙面に爪が食い込む。
赤い粒が散り、意味は立ち上がらない。
ニュースは続く。
《逃げ遅れた高齢女性、搬送間に合わず》
《橋上での小競り合い、子どもが転落》
《“悪を許すな”デモ、制御不能》
喉が焼ける。
声が勝手に出た。
「動けって言ってんだろッ!!」
紙が裂ける音。
破片が、ゆっくりと床に降りる。
「なんでなんだぁぁッ——なぜだ、なぜッ!
俺が、守るって決めたんだろうが……ッ!」
拳が机を叩く。
震えたページの赤は、終わりかけの炭みたいに黒へと冷めていく。
呼吸が荒くなる。
視界がぼやけ、意識が滑る。
(……あれ? 俺は……誰のために、これを——)
言葉が途中で途切れた。
頭の奥が、空白になっていく。
いつもの、あの音は鳴らない。
世界は、沈黙のまま。
◇
窓の外で、怒号。
画面のテロップが、被害の数字を更新するたび、秒針が狂い前へ走る。
一拍、そしてもう一拍——時間が追い越していく。
さっきの怒鳴り声にびくりと身を縮めていた小鉄が、駆け寄りじっと俺を見上げる。
視界が滲む。
握った手の熱が、骨にまで沁みる。
「……こんなはずじゃ、なかったんだ……」
「ごめんな、小鉄……」
手に小さな頭が触れる。
喉の奥で、低い音が震えた。
その謝罪は、世界にではなく、ただ一匹に向けられた。
唯一、まだ失っていないものに。
◇
もう一度、余白に指を置く。
意思だけを、なぞる。
赤は息を吸い、吐くみたいに膨らんで——形にならないまま、消えた。
(止めたい。……でも、どうすれば……)
画面の中で、夜が早すぎる速度で降りてくる。
秒針は、なおも前へ。
白い余白だけが残ったページを、そっと閉じた。
紙の軋みが、胸の奥でやけに大きく響いた。




