呼吸
──悪夢のような時間が過ぎ、家に帰った私は洗面所の鏡で自分の顔をぼんやり眺めていた。
今日は訳のわからないことが多すぎた。
梨鈴は意味不明な告白をした後はいつもの調子で、取り残された私はその勢いに振り回されていた。
解散を切り出すこともできずに、ただ梨鈴にリードをつけられた犬のように、ただ梨鈴の塩素で若干色の抜けたポニーテールと右手のハサミをぼんやり見つめながら歩いていた。
鏡の前で自分の右手を見る。
お腹の辺りを見る。
もう一度右手を見る。
私の手は、ハサミじゃない。
梨鈴じゃどうしちゃったんだろう。
ぼんやりと右手の手相を視線でなぞる。
「はぁ、今日は疲れたな……」
フラフラとした足取りで私はお風呂に入った。
湯船の中で私は梨鈴の話を思い出す。
蟹星人の故郷は水の惑星だと言っていた。
一面が水に覆われているというのはどんな景色なんだろう。
簡単に想像できるようで、海の真ん中なんかに行ったことはないから中々想像できない。
私はお湯の中に顔を沈めた。
今日起きたことを忘れてしまいたかった。
(梨鈴は海の中でも呼吸ができるのかな……)
(海の中で呼吸……)
(水の中で呼吸!?)
私は違和感を覚えた。
私たちは海に近い街に住んでいるから、毎年夏休みになると海水浴に出かけるけれど、梨鈴は泳ぎが得意なわけではない。
なんなら、昨年皆で海水浴に行った時なんて梨鈴が溺れかけて大変だった。
私はお湯から勢いよく顔をあげ、大きく頭を振って水を払った。
「今日会った梨鈴は……誰!?」
蟹星人がいるとかいないとか、そんなことはわからない。
ただ、今日会った梨鈴は私のしっている梨鈴ではなかった。
「ほんとの梨鈴はどこにいるの!?」
心に一筋の灯がともった。
希望と呼ぶにはあまりにも何もわからない状況だが、友達がどこかで助けを求めているかもしれない。
それだけで十分だった。
もしやすると、梨鈴が蟹星人だということに理解が追いつかなくて、心の防衛本能がわかりやすい、漫画みたいな結論を用意しただけなのかもしれない。
しかし、そんなことはこの際どうでもよかった。
「梨鈴を助けなきゃ……!」




