邂逅
「どうしたの?その手……」
「……なんのこと!?」
「い……いや、なんていうか……」
「ん!?」
「いや、なんでもない……」
梨鈴の右手が蟹のハサミになっていた。
胸元にかわいいフリルのついたオフショルの白いワンピースに街歩きにぴったりな厚底のサンダル、梨鈴はどこにでもいる女の子。
少なくともついさっきまではそうだった。
それが今、隣にいるその女の子には小さな体に不相応な優に50cmを超える大きなハサミがついている。
さっきまで持っていた小さいハンドバックは、かろうじてハサミにかかっているという表現がふさわしい。
作り物かと目を疑ったけれど、そのキチン質の硬い殻の表面には海洋生物特有の滑りが不気味に陽光を反射している。
気づいているのかいないのか、梨鈴は大きな目をいっぱい細めながら嬉々として話しかけてきた。
「そういえば、この前話してたファンデ、抽選当たって2つ買えたから佳奈ちゃんにもあげるよ!」
「あ、あぁ……」
反応に窮する私を余所に、梨鈴は右手にかかったハンドバックに手を伸ばす。
右手を見ている……
右手を見ている……
右手を見ている!
「あぁ、これこれ!」
何事もなかったみたいにファンデを取り出して渡してきた。
私は少し立ち眩みに似た感覚を覚えた。
なんなんだろう、この状況は。
私がおかしいんだろうか。
「佳奈ちゃん今日はどうしたの!?なんか変だよ!?」
何も反応を返せずにいる私を不思議そうに見つめながら、梨鈴が私の顔を覗き込んでくる。
変なのは梨鈴だ。
おかしいのは梨鈴だ。
おかしいのは梨鈴だけど、突拍子もない出来事を直視することができなかった。
私は理解の追いつかない現実から目を背けることにした。
まだ夏の匂いが残る海沿いの街で熱中症にでもかかっているんだと思うことにした。
「あ、いや、何でもないよ!
ありがとう!このファンデ欲しかったんだよねー!」
私は努めて明るく、梨鈴にそう返した。
梨鈴は不思議そうな顔をしながらも光沢のある珊瑚色のケースを左手で渡してきた。
左手……人間の手で助かった。
ホモ・サピエンス(Homo sapiens)万歳。
「じゃあこれからどこ行こうか!?まだお腹空いてる!?」
梨鈴は今のやり取りの間におなかと背中がくっついたような調子で聞いてきた。
私は適当に解散して早めに寝てしまいたい気分だった。
悪い夢なら寝たら覚めるはずだ。
ここですぐに解散とはいかないまでも、家の近くの駅まで戻ってラーメンでも食べて解散したい、そう言おうとした時──
「せっかく海沿いに来たわけじゃん!?カニ棒とかどう!?」
「なにそれ、共食いじゃん笑」
しまった。
口が滑った。
脳のリソースの大部分が目の前のハサミに占められていたがために、反射的に口をついて出てしまった。
「えー、佳奈ちゃんうちの右手のことそんな風に見てたのー!?やだー笑」
梨鈴ちゃんはケタケタ笑っている。
そして、ひとしきり笑ってからこう言った。
「私、蟹星人だよ!?」
……なんだって!?