23話「少し強いだけの、普通の女の子」
友愛、憧憬、希望──日常。
全て。全てが贄となり、未来を描く。
未来とは地続きの現在であり、未だ見ぬ可能性であり、歩み過ぎ去って来た足跡の行末──。
故にこそ。
人には、世界には──過去が、歴史が、確かに存在し、『私達』を運命へと導いていくのだ。
それが例え、破滅の一途であろうとも。
一直線にしか無い道を自ら開拓し、足掻き、新たな未来を切り開かぬ限り。
その先には必ず、限界点──終わりが訪れる。
それが果たして生命の限界であるのか、はたまた社会的な限界であるのか……。
そのようなこと、一個人である『私』には計り知れないことなのだけれど……。
だからこそ『私』は、少しだけ凸凹で歪で……。
でも、それでも。
直視出来ない位に眩い、平行線の先に在る『貴方』に寄り添いたい……。
きっと、『貴方』の運命は辛いから。
きっと、『貴方』の人生は苦しいから。
愚かで優しい『貴方』は背負い過ぎた。
どうしようもない現実に打ち拉がれるでしょう。
時には悲しさに涙を流し、歩を止めるでしょう。
もしかしたら。
弱くて繊細な『貴方』は、もう一度転んでしまったら、立ち上がることが出来ないかもしれない。
もしかしたら。
無垢で優しい『貴方』は、泣いている人を見つけたら、その重く冷たい涙を受け止めてあげるかもしれない。
そうなってしまっては。
女神に感情を緩和して貰わなければ、廃人となっていたであろう繊細な『貴方』には、些か、酷が過ぎる。
純真な私達よりも、直ぐに死んでしまう……。
そんなのは誰も望んでいないし、許さない。
故に『私』は、虚ろな瞳の『貴方』を抱き締める。
『だからね、陽依ちゃん。私は、ここに居るんだよ』
嗚呼……嗚呼……。どうしたら『私』は、血と後悔に塗れた己の咎を──赦せるようになるのだろうか……。
──せめて、『貴方』だけは……。
◆◆◆
ぎゅっと、抱き締められた。
縮こまった全身を、包み込むように抱擁された。
静かに脈打つ心臓が小刻みに跳ねる。
息を呑んだ。言葉が出なかった。
ただ彼女に身を委ねて、無責任にも安心した。
少しして、冷たくも暖かな感触が遠のいた。
じんわりと広がっている熱が、徐々に覚めていく。
その虚しさに驚きを隠せないでいる私は、離れたところで此方を見ている彼女の瞳を、捉えて逃がさない。
「──────」
言葉を交じ合わない、静寂の刻を経た。
口から言葉が溢れそうになるが。
あ、あ、あ……と、意味を持たぬ音しか出ない。
私は、弱い人間である。
嫌なことは思い出す度に苦しくなるし、泣きたくなる。
それが心を壊すに難くない記憶であるなら尚更。
どうやら私という人間は、自分の過去との折り合いを、中々付けることが出来ない性分らしい。
それこそ前世の家族を想う度に、今の家族に違和感と罪悪感を感じるし──心の底からの家族にはなれてない。
愛してくれるみんなには、本当に申し訳ないと思う。
申し訳なくて申し訳なくて申し訳なくて……。
ごめんが積み重っては雁字搦め。
面倒くさくてツギハギだらけな私は、自分を完全に肯定することが出来ないまま、目を背けて生きてきた。
それが私の弱さ、罪、私という本質。
ここ数年で忘れてきたモノを──私は思い出していた。
『ねぇ、陽依ちゃん』
澱んだ意識は、闇のように暗く深く──。
どうしようもない私の孤独に、木漏れ日のような淡い光が、一筋、入り込んで来た。
「────」
目が覚めた。前を向いた。
すると彼女は、腰の後ろで手を組んで顔を覗かせる。
『強く、なりたい?』
「強──く……?」
『そう。強く』
なりたい、あまりに弱いから。
心も身体も、何もかもが脆い。
だから強くなりたい、なりたいけれど。
強くなりたいということは、己の弱さを拒絶するということは、自分自身をも否定することで……。
それは個人として、度し難い行為である。
でも、それでも──私は、私だけは、軟弱な自分を肯定しなければいけない。
だって、ある人は言った。
超人へと到達する為には、純粋あれ、と。
現状を肯定し、認めることが必要である、と。
そして──絶え間ない努力をするのだと。
で、あるならば、だ……。
私はたった一言、この想いを吐露するしかなかった。
「なりたい…………」
『────?』
「強く、なりたい…………」
『………………!』
ボソッ、と呟く様に吐いた言葉。
最初こそ何も聞こえず、ちょこんと首を傾げていた彼女であったが、──二言目。
微かに届いた言霊が、彼女の瞳孔を広げた。
彼女が笑っている。嬉しそうだ。
私の答えに満足した、ということだろうか。
彼女もルカなのに、全然わからない。
手がプルプルと震える。
目を、ぎゅっと、瞑る。
なんて情けないのだろう。恥ずかしい。慚愧に堪えないったらありゃしない。
──けど、これでいいとすら思う。
弱いくせに、不器用だから溜め込んでしまうのだ。
こうして、誰かに泣きつけるくらいが丁度いい。
「えっ──?!」
コツン、と額に何かがぶつかった。
目を開けると、彼女の相貌が広がっていた。
二人のおデコがくっついて、鼻先がぶつかって。
彼女の綺麗な朱色を見詰めて、視線が合って。
フーフーと、くすぐったい吐息が頬を掠る。
我ながら(?)睫毛が長くて、目が大きくて。
白の柔肌はモチっとしてるし、唇は艶やかで……。
なんて可愛らしいのだろうと、胸がドキッとした。
『へへ、ドキドキいってますよ? 陽依ちゃん』
「そ、それは……っ!」
なっ、なんなんだこれは!
情緒が!情緒がおかしくなる!
『素直になって良いんですよ? ちゅー、しますか?』
桜色の唇をプルプルと震わせ、恍惚とする。
徐々に近づく彼女に、視線が自然と引き寄せられる。
「っ……! す、するわけないでしょ!!」
『ちぇ~……これが手っ取り早いのになあ~』
「な・に・がっ!!」
『強く、なるには?』
何で貴方が、きょとんとしてるんですかね!
ムスッと口を尖らせ、上目遣いで彼女を捉えた。
すると、
『だって人間ってさ。あらゆるものを、口から摂取して吸収するでしょう? だからキスをすることで、私達という集合存在の、歴史的概念を注入しようかな~って?』
弁明するように、淡々と説明を始めた。
うん。言葉が難しくてぜーんぜん分かんないや。
一つだけ理解したことがあるとしたら、
「もしかしたらそれって、貴方を……いえ、貴方達を吸収するってことなの?」
『──えへっ』
ひどく意味ありげな笑みだった。
少しくらい誤魔化してよ。そんなんじゃ、認めているようなものじゃない……。
「嫌よ……。そんな、誰かを犠牲にするなんて……」
『私でも? 既に死んだ記憶体の自分なのに?』
「…………うん」
『他の大切な人が犠牲になるかもしれないのよ?』
「でも……」
『はあ…………』
眼前に居る彼女は腰に手を当て、絵に描いたような溜息をついて魅せた。
そう溜息を吐かれると、なにか来るものがある。
なんだろう。呆れられているような、そんなものかと諦められているような……。
そんな雰囲気が、ナイフの様に心に突き刺さる。
やめて欲しい。自分だけじゃなくて、他人にも見放されたら存在意義を見失ってしまう。
こうならないように、ずっと──ずっとずっと、前世からずっと、優等生をやってきたのに……。
「………………」
『ま、貴方ならそう言うだろうなとは思ってたけどね』
「えっ……?」
『えっ……?じゃないわよ。剣崎陽依のこと、誰よりも一番知ってるの、私達なんだからねっ!』
「なん、で…………」
『なんで、って……私達は貴方の一部よ? 陽依ちゃんの記憶、全部見てるに決まってるじゃない』
「…………は?」
全部って、全部?
あんなことや、こんなことまで?
「──本当に?」
『ええ、本当。陽依ちゃんって、私達と同じで激しいのかな〜って思ったけど、意外にお淑やかなのね?』
「は?」
『私達は結構激しくて……ベッドが──』
「うわあああああああああああああああ!!!!!」
『!!』
それは、まるで兎の如く──。
大粒の涙を目尻に溜め、彼女へと飛び掛った。
倒れた彼女に馬乗りし、手で口を押さえつける。
私の口から漏れるのは、発狂に近い絶叫。
ヒステリックな金切り声を撒き散らしている。
「バカ!バカバカバカバカ、バカッ!!」
『ん~!んんんん~~~~ッ!!!』
「変態!エッチ!すけべ! 貴方を殺して私も死ぬ!!」
顔が火照った。耳まで真っ赤だ。
息が荒く、心臓が暴れる。
感情が渦巻き、これでもと暴言が押し寄せた。
『──ん! それは──だ、めっ!』
手を掴まれ、口元を開けられる。
彼女の瞳が潤んでいる。
ぐずぐずと、鼻を鳴らす音が聞こえた
『貴方が死んだら、この世界も終わるじゃない! 貴方だけは、冗談でも死ぬなんて言っちゃダメ! そんなこと、絶対に許されないんだから!』
言葉の一つ一つが胸に刺さる。
ぐうの音も出ない。
私はただ、「ごめん……」と、呟くしかなかった。
『分かってくれたのなら、良かった……わ……』
彼女はニコリと微笑み、俯いた私の頭を撫でた。
私は何も言えず立ち上がると、彼女も追随するように立ち上がって、目線を合わせる。
今回の件は反省している。
彼女にも悪いと思っている。
が、それはそれとして。
「プライベートを侵したのは許してないからねぇー!」
目を点にする彼女の両頬を引っ張り、抓る。
彼女は、あいたたた、と悲鳴あげ──赦しを乞う。
『ふぃ~!しゅみましぇ~ん! ゆるしてぇ~!』
「本当に反省してる?」
少し気を許して、力を弱めた。
すると。
『しょーじき、才能あって可愛くて努力家で』
「………………?」
『それなのにすっごく謙虚で、自分小さく見せてて』
「……っ!(照れ)」
『無理に笑って皆に合わせるけど、理想しか見てないあの感じが──』
「ん……?(訝しむ)」
『虐められても仕方ないと思ってすみませーん!』
「はああああああああ!!?? 私のこと、そんな面倒くさい馬鹿な女だって思ってた訳?!」
『え……違うの?(純粋なお目目をパチクリ)』
なんて綺麗な瞳なんだ……殴りたい……。
だけど、自分で言ったけれど、何も間違ってない。
だからこそ、この、もの言えぬ感情を発散したい。
彼女の頬から手を離した。
ぎゅっと、拳を握り締めた──ときだった。
『でも良いじゃない』
「?」
『バカで面倒くさくて、不器用で臆病で……でも、真面目で責任感が強くて、理想を持ってて──誰よりも優しい』
「────、」
『他人よりもちょっとだけ剣を扱えるだけの、なんの変哲も無いような、普通の女の子の貴方だから……』
「………………」
ポツン、と私の胸に彼女の指が触れる。
少しくすぐったいのは、彼女のせい。
少し泣きそうになっているのも、彼女のせい。
──思えば、色々なことがあった。
前世で初めて剣に触れて、祖父に憧れて。
みんなから、「頑張ったね」、「凄いね」って褒められたくて、頭を優しく撫でて欲しくて──。
毎日のように練習して、努力して、積み上げて。
小学や中学では友達もいっぱい居て、学校に行くことが楽しくて嬉しくて、沢山の思い出が詰まってて。
でも高校では一年生の夏に突き落とされて、特になんにも楽しいことがなくて、失ったことばかりで。
私を突き落としたのは色恋沙汰だったり、優等生演じててキモイかららしくて、落ち込んで。
腕が折れて、夢も目標も失って病んで、引き篭って。
祖父を病で亡くして、生きる気力すら湧かなくなって。
たまたま見つけたゲームをやったら衰弱して、女神様と出会って、世界を救ってって頼まれて。
彼女が本気だったから、私も死ねなくて、受け入れて。
──ルカ・エーデルとして転生した。
そして。
新しい家族と出会って、大好きなダリアと出会って。
沢山この世界について勉強して、楽しいけど何処か疎外感のある毎日を送って、雁字搦めで。
でもそんなときにレンが生まれてくれて、私をお姉ちゃんに──本当の家族にしてくれて、それが嬉しくて。
こっちに来てからは、レーヴェとシュタルクに剣の練習をするようになって、沢山のことを学んで。
アルトには植物園を見せて貰って、一緒に収穫した野菜とか果物を摘み食いして、絵本なんかと読んでもらって。
コルンは厳しくてよく叱られたけど、でもそれ以上にいっぱい褒めてくれて、一人の女性として扱ってくれて。
ダリアは何時も優しくて、よくレンと一緒に三人で外に出るけれど、その瞬間が一番楽しくて楽しみで。
マリーは会いに行くと、綺麗な花をくれて……って。
それが──それが私だ。今の私だ。
今こうして、グリフォンという脅威を前に、あまりに無力で愚かな自分に泣いているのも私だ。
彼女はそんな私の全てを見たと言った。
そして。
『他人よりもちょっとだけ剣を扱えるだけの、なんの変哲も無いような、普通の女の子』だと比喩した。
その言葉が、その言葉だけで、どれだけ救われたか、
どれだけ、私という存在が揺るがぬ肯定をくれたか、
彼女は知らないし、分からないのだろう。
だって彼女は、こんなにも欲しい言葉をくれる。
『……うん。貴方はもっと、自信を持っていい。貴方はもっと、みんなを頼って甘えたっていい。クシャクシャに泣いたっていい。貴方にしか出来ないことだけど、決して貴方一人で背負わなくたっていい』
「──、──、──ッ!」
──嬉しい。嬉しい。嬉しい。
嗚咽が漏れる。呼吸が途切れ途切れ。
不思議と、苦しいとは思わない。
あるのは、己を晒す気恥しさと、安心感だけ。
涙の数だけ強くなるなんて言うけれど、泣き虫な私はどんなに弱かったのだろう。
これからの私は、どれだけ成長できるだろう。
『貴方はきっと、沢山の人と出会うわ。そして、その度に運命の糸が交わり合うの。それが善いものなのか、悪いものなのか、今の私には分からないけれど。貴方が貴方のままで理想を掲げれば、絶対、みんなついてくるから』
「……うん。……うん…………」
胸がポカポカと温かい。
彼女の指から、静かな光が溢れている。
私の全身を彼女が包み込んでいるようで──とっても心地が良くて、心底から安心する。
そういえば、これと同じようなことを何処かで……。
ああ……そうだ……。あのときだ。
私が転生する直前、女神様がくれた祝福と同じ光だ。
懐かしいなあ……なんて、直感した。
『だから──ありのままの自分を愛して……。貴方の胸に秘めてる夢を、理想を捨てないで……。何があっても、未来を諦めないで……』
「…………」
『こんなことしか出来ないけれど、未来を、お願い……』
「……うん、分かった──………………」
視界がぼやけて映る。意識が朦朧とする。
彼女は光に包まれて、少しずつ飽和している。
これも、前に経験した。
もうすぐ、お別れということなのだろう。
私は眠気に抗うよう、頭を上下にウトウトしながらも、彼女の存在を双眸に捉えて離さない。
『本当は全部を貴方にあげたかったけれど、貴方に断られちゃったから、今は私の雷の魔力をあげる。陽依ちゃん、ルカの雷の魔力──上手く使ってね』
「あ……り、が……とう…………」
世界が飽和する。白が光に吸い込まれる。
バタッ、と脱力する私の身体を彼女は抱く。
(ああ、もうダメだ。意識が…………)
『急いでね……。じゃなきゃ、二人がグリフォンに殺されちゃうから……』
(そうか……。二人が、私の代わりに…………──)
世界が暗転した。
瞼がずり落ちて、意識の帳が閉じた。
◆◆◆
奇妙な体験をした。
違う世界の私と出会って、色々聞いて。
彼女のことを知る度に、自分のことも伝えて。
巫山戯て、喧嘩みたいに言い合って。
自分の不甲斐なさに悔しくて、泣いて。
ちょっとだけ前向きになれて、背中を押して貰った。
よく分からないけれど。
本当に奇妙で、本当に大事な体験をした。
「……………………」
まだ朦朧として重い頭で、ふと思い出す。
微睡みの中、不透明で淡い最後の瞬間──。
彼女は──、
『またね、陽依ちゃん。いつまでも、見守ってるから』
──柔く、はにかんでいた。




