18話「安心、恐怖、惨めな逃走」
高さ約五十メートル付近。
首筋を深く抉られたグリフォンは、痛ましき悲痛の叫びを辺りへと響せ、ブレイブ同様に地面へと墜落していく。
──ドスッ!!
高所から地面へと落下したブレイブは、ロールをすることで衝撃を吸収し、派手に土煙を上げながら着地。
蒼白くなっている顔のその口を手で抑え、身体への無茶な負荷が祟ったのか、息苦しそうに俯き吐血した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……けほっごほっ…………。グリフォンは……グリフォンはどうなった?」
親指で口元をなぞる様に血を払い、地に膝を着き立ち上がったブレイブは、グリフォンの方へと視線を流す。
そこには、倒れているグリフォンが在り──、
「凄い凄い!みんな流石だよ! あのグリフォンを倒しちゃった! 僕も何時か、みんなみたいになりたい!」
──クラウスが嬉しそうに目を輝かせ、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、無邪気に喜びを顕にしていた。
しかし私には──否、私達には、クラウスの様に喜ぶことなど出来やしなかった……。
確かにブレイブの放った隕落の一撃は、グリフォンの首筋を深く抉り、大きな致命傷を与えた。
そして、その致命傷は普通であれば、相手の生命活動に終止符を打つ一撃でもあった。
だが、相手は普通でもなければ異常も異常。
魔王にも匹敵しうる強敵なのだ。
で、あるのならば、この程度で終わる道理が無い。
「「「「「「「───────っ!!」」」」」」」
──ビュンッッッ!!!
一陣の突風が如き魔力の波動が、グリフォンを中心に円形に伝導し、脈打つ様に私達の心臓を掠め過ぎった。
それの、何と気圧されることであろうか。
私達の背中には死神が居て、首筋に向けて鎌を当てられている様な、そんな明確な殺意を感じたのだ。
これには空喜びしていたクラウスも、全身にぶわっと冷や汗をかき、怖々と兵に対して目線で助けを求めていた。
「ハハッ……ハハ…………は………………こ──、ぉ…………ど─す──、──の…………?」
クラウスが口を開いた。
が、その弱々しい言葉が届くことは無かった。
声量を上回る圧でかき消されてしまった。
──ゴォオオオオオオオ!!!
グリフォンを中心に、周囲を超高濃度の魔力が渦巻き、螺旋を描く様に猛烈な暴風が吹き荒れている。
それはさながら、神業であろうか。
グリフォンが発生させているのは、自然災害とも呼べる気象現象の一つ──竜巻に相違なく……。
人間という生物は得てして、超自然の前では何も成すことの出来ない、無力な存在でもあるのだ。
故にこそ、魔法という摩訶不思議な術がある世界であったとしても、戦意を削ぐ脅威に他ならないのである。
「ハハッ……嘘、何この数値……。さっきまでは戦ってすらいないって言うの……? どうしてさっきより、魔力量が大きくなっていくの………? どうして……生命力が、こんなにも回復していくの…………………」
「ちっ……やっぱり無理だったか……」
「ええ……やはり、一筋縄じゃいきませんね…………」
アベルは諦め笑いを浮かべて呆然とし、シュピツエとグリフは足を竦ませながら剣を構え……。
(────無理だ………………)
何も言葉に出来なかった弱い私は、ただ絶望している。
「なあ、グリフ……」
「──なに? コーパー……?」
コーパーに名前を呼ばれたグリフは、コーパーの方を見て頭を傾げながら、困惑の声をこぼした。
それもその筈だろう。コーパーは現実を知りながらも、その表情に希望を浮かべていたのだ。
グリフでなくても困惑する。
「………………………………」
やがて──風切り音だけが聞こえる世界の、その刹那の静寂の中で、私達全員を見回したコーパーが口を開いた。
「グリフ……お前は血ぃ吐いたリーダーと、そこで怯えてる子ども達を連れて逃げろ」
「はっ……?一体、何を言っているんですか? 血を吐いたリーダーならともかく!何故僕まで!!」
「何を言っているんですか……? 俺だってまだ……まだ一緒に戦えます…………──カハッ!!」
二人に逃げろと言ったコーパーに対して、当の本人であるグリフとブレイブは抗議するが、限界寸前であるブレイブは説得力の欠片も無く血を吐いた。
「大丈夫ですか!?」
グリフは心配そうにブレイブに近寄り、優しく彼の背中を摩り始めた。
それを尻目で見たコーパーは、微かに口角を上げる。
「グリフ……お前は強くて優しい男だよ……」
「えっ…………?」
グリフは唖然とした。
この人は一体、何を言い出しているのだ……と。
しかしコーパーは、お構い無しに話を続ける。
「お前は優しいから誰にも傷ついて欲しくなくて、だったら自分が傷ついた方がよくて……そんな奴だから、血なまこになって努力して、最年少で兵になって……」
何処か感慨深そうに言葉を紡ぐコーパー。
彼の後ろ──先程グリフォンが墜落した場所には、未だに濃い魔力が渦巻く竜巻があり、黒く大きな影が見えた。
「今こうして、グリフォンっつー強敵相手に逃げずに立ってる……。俺、お前のことスゲェと思ってるよ……」
大きな影は次第に、地面に四足で立つグリフォンの形へと成っていった。
「前に、死ぬ時は人を助けて戦場で……って、そんなこと言ってたけどさ……。お前、まだ十代じゃねーか……」
竜巻の勢いが徐々に弱くなってゆき、グリフォンの瞳が赤く光って見えた。
「だからさ……お前は、生きろ──。俺とシュピツエで、レーヴェ様来るまで耐えてやるからよ!」
「──ったく……俺は巻き込むのかよ……?まったく、仕方ねー男だぜ。仕方ねーから付き合ってやんよ!」
「ああ。サンキューなっ!」
「………………………………」
笑いあった二人の漢はグータッチした。
涙を流し、下に俯くグリフには何も言えなかった……。
コーパーの言葉の意味と、覚悟を感じ取ったのだ。
何も、言えようはずが無かった。
そして。それはブレイブも同じであった。
「なぁ……俺は…………足でまといか…………?」
「……………………ああ」
「…………そうか…………分かった………………」
半分期待、半分諦めでブレイブは問い掛けた。
しかしコーパーは、やはりではあるが、ブレイブに頷き肯定を示した。
だが──その表情は穏やかで、優しさに満ちていた。
だからブレイブも、コーパーの思いやりに、潔く観念することしか出来なかった。
そして。現実とは非情なものである。
弱い私達に、何時も恐怖と絶望を突き付けてくる……。
──バタッ!──ビューーーンッッッ!!!
僅か一度の羽ばたきで、辺りの竜巻が消えた。
そこには必然であるが、傷口が何事も無かったかのように癒え、魔力で全身を纏っているグリフォンが居た。
先程までの理知的な金色の瞳は、本能か洗脳か、ただ目の前の生命を狩ることだけを良しとする様な、そんな印象を持たせる血紅へと変わっていた。
(これが……魔物……? これが……私の敵……? こんなのを倒しなきゃいけないの…………?)
無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。──無理だ。
さっきまでは……みんなが来るまでは……。
一番お姉ちゃんである私が何とかしなきゃって……。
そう思って意気込んで、自分を奮い立たせてた……。
だけど、こんなのに勝てる訳がない……。
奴からはもう、逃げることすら出来ない……。
私……ここで、みんなと死んじゃうんだ……。
何も成せぬまま……無意味に終えるんだ……。
嫌だ、死にたくない、誰か、助けて、逃げたい、終わりたくない、怖い怖い怖い怖い怖い──死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない────っ!!
クラウスが震える身体を進ませて、私の前へと立った。
それはどうやら、私のことを庇っているようだった。
相手が子どもとは言え、力が無くて頼りないとは言え、初めて男の子に守って貰った気がした。
とても、嬉しかった。
そして、凄いとも思った。
今の私には大事な弟のことすら頭に無かった。
目の前の恐怖に自分の命が危機に晒され、自分のことしか考えられなくなっていた。
だからこそ、先程まであんなに怖がっていたのに、他の人を気遣える優しい彼が凄いと、そう心から思ったのだ。
だけど──。
──このとき、グリフォンと目が合った。
思えば、グリフォンは私のことをよく見ていた。
この事実に。まさか……と悲観しているときだった。
【私の可愛い可愛いグリフォン。私と同じ魔力を持っている我が娘を、早く、生かして連れて来なさい】
──声が聞こえた。
それは、何処かで聞いた事があるような……覚えていなきゃいけないけれど、それでも中々思い出せない……。
そんな、大切な記憶の一部である感じがした。
だが現状の私には、何も考える余裕がなかった。
何故ならば──、
『キエェエエエエエエエエエエエエ───ッッッ!!』
完全に私へとロックオンしたグリフォンが、声にもならない音で甲高く吼え、一直線に突撃してきたからだ。
「逃げろぉおおおおお!!!!!」
コーパーの声で、私達は一斉に逃げ出した。
グリフはレンとアベルを抱き抱えて走り。ブレイブは後ろを気にしながらも、折れているであろう脚を魔力で強化しながら、何とかのところで走った。
クラウスは私の手を取って走り。私は、嫌な予感を胸の内に孕みながら、何とも言えぬ気持ちで──逃げた。
「…………私は…………私は……………………」




