83.
「痛っ……」
「奥様に何を!」
私が顔を歪めると同時にアイリが責めるように叫んだ。
マレーナは自分のしでかしたことに今更気付いたのか真っ青な顔で唇を震わせた。
「手首が……折れてしまったかもしれないわ」
「そ、そんなに強く叩いていないわ……」
私は床に転がる燭台と蝋燭を眺める。そして火をヒールで踏み消した。
これはマレーナがリーネに渡したものではない。
屋敷で普段使いしている蝋燭の芯の部分に軽く香油を付けただけの物。
そんなことすら今のマレーナは気づかない。
「全く……火のついた燭台を叩き落とすなんて、絨毯が燃えて火事になったらどうするつもり?」
私はアイリに命じて燭台と蝋燭を拾わせる。
「暗いわね、アイリもう一度蝋燭に火をつけて」
「かしこまりました奥様」
私がそう告げた瞬間マレーナは必死の形相で扉に向かって走る。逃げ出すつもりだろう。
施錠されてるところを先程見た筈なのに。
私はブライアンのベッドに向かい声をかけた。
「リーネ、彼女を拘束しなさい!」
言葉とともに顔から布を剥ぎ取ったメイドがマレーナに襲い掛かった。
「ヒッ、誰、誰よっ!」
「嘘つき、嘘つき女、信じていたのに!!」
怒りの形相でマレーナにしがみつく盗人メイドを私とアイリは冷めた目で見た。
悪人には悪人の理屈があるとはわかっている。けれど馬鹿馬鹿しく感じるのは仕方がないだろう。
「リッ、リーネ! 生きていたの?!」
「私だけ捕まるなんて許せない、あんたも道連れよ!」
「嫌よ、私は捕まる訳にはいかないの、離しなさい!」
罪を犯したメイド二人が床で醜くもつれ合う。
「奥様、私も拘束を手伝います」
「お願い」
リーネにアイリが加勢した結果、マレーナは速やかに両手両足を拘束された。
彼女をブライアンのベッドに寝かせるよう指示する。
そして近くのサイドテーブルに私は笑顔で燭台を置いた。
「アイリ、もう一度火をつけて」
「やっ、止めて、止めなさいよ!」
「どうして、とても良い匂いじゃない?」
「馬鹿言わないで、私が死んだらどうするの?!」
「つまり毒を混ぜたアロマキャンドルを作ったと認めるのね?」
「……私じゃない、私は何も知らないわ!」
意地でも犯行を認めないマレーナに私は口を開いた。
「蝋燭をその口にねじ込んでもいいのよ?」
「だ、だって、貴方がブライアンなんかに優しくするから!!」
「……は?」
「ブライアンには私だけが居ればいいのに!」
マレーナの目に涙が浮かぶ。
「頭も性格も悪くて嫌われ者の彼を愛して支えて上げられるのは私だけなのに!」
「……それは、彼を愛しているってこと?」
「そうよ、私だけが彼を愛してあげられるの」
やっと聞けたマレーナの本音を脳が理解出来ない。
私はアイリやリーネと顔を見合わせる。
全員マレーナが何を言っているのか理解出来ないという表情をしていた。
「……貴方たちブライアンの事嫌い?」
「嫌いです」
「少し会話しただけで馴れ馴れしくなって気持ち悪い男だわ」
アイリとリーネが即答する。
何故かマレーナはそれに満足げだった。
彼女はブライアンと愛人関係だったと予想していたが、もしかして違うのだろうか。
「彼はね、私だけに甘えて、救いを求めていればよかったのよ」
「救い……?」
「そうよ、無能な彼が仕事でミスをする度に私がフォローして上げていたわ、それなのに……」
悲し気な目をしながらマレーナが言う。
マレーナの発言が真実なら、彼女が陰でサポートしていたからブライアンは家令補佐としてやっていけていたのかもしれない。
「突然奥様の一番になりたい、その為に家令になりたいとか言い出すから……殺すしか無かったのよ」
「はあ?」
突然二人の歪んだ関係に巻き込まれ私は目を丸くする。
公爵夫人である私の一番になりたいと言い出すブライアンは正気じゃないし、それでブライアンに殺意を抱くマレーナも沸点が低い。
私の夫がケビンだとブライアンは認識していないのだろうか。
ケビンの対応はホルガーが一任していたことを差し引いても常識が無い。
「私はアベニウス公爵の妻なのだけれど?」
「男遊びが過ぎて潔癖な公爵様には手も付けられていないって噂だけれど?」
初夜以外寝室も完全に分けられている癖に。マレーナが小馬鹿にしたように笑う。
「それで、そんな私に貴方の恋人は心を移したってこと? 男好きだから自分にもチャンスがあると思って?」
本当に馬鹿な男ね。私は吐き捨てるように言った。
マレーナがそんな私を睨みつける。
「ブライアンを殺そうとしたのは、自分を裏切ったことが憎いから?」
「それだけじゃないわ、このままだとブライアンは嫌がらせがバレるか仕事を失敗し続けてクビになるだけ」
「そうかもしれないわね」
私は原作でブライアンが屋敷を出るまでを思い出しマレーナに同意した。
「だから、私から心も体も離れる前に殺して永遠にしたかった」
「は?」
「彼が私を一番に愛し続けるなら、彼が無職になっても私がずっと養ってあげたけれど」
「……ブライアンは妻帯者よ?」
「とっくに関係は冷え切っていると言っていたわ。家に戻っても無視されるだけだって」
だから公爵家を解雇されたらすぐ離婚される筈よ。マレーナは確信したように言う。
不倫する女性特有の楽観的思考だ。こんな女に散々振り回されたのかと思うと怒りを通り越してうんざりした。
「そんな彼が公爵邸で犯罪を犯した上で亡くなったなら絶対誰にも悲しまれたりしない」
「それは……そうかもしれないけれど」
「だから私だけがそんな彼の事を想い続けて悲しんであげるのよ……ああ、お墓も作ってあげなくちゃ」
だから絶対捕まるわけにはいかないの。
うっとりとした声でマレーナが語る。
私には彼女の言っていることが理解出来なかった。
でも別に理解する必要も無いことにすぐ気づく。
「貴方の言っていることって結局不倫相手のブライアンが私を好きになったから殺してやる、でも自分は捕まりたくないわってだけでしょ」
「私の愛を馬鹿にしないで!」
「するわよ、私から見たら貴方もブライアンも迷惑な馬鹿でしか無いもの」
顔を真っ赤にして喚くマレーナに私は冷たく言い返した。
「私に惹かれる前から、貴方なんてブライアンには遊びでしかないわ」
「勝手に決めつけないで!男をとっかえひっかえする悪女に何がわかるのよ!」
「本当に愛してるなら奥様に頭下げて離婚して貴方に結婚を申し込む筈よ、それをされない程度の女なのよ貴方は」
私は淡々と告げる。マレーナは怒りで顔を真っ赤にしながら目を逸らした。
狂愛に酔っているように見えて奥底の本心では理解しているのだろう。不倫は不倫でしかない。
「それに貴方だってカーヴェルに惹かれているように見えたけれど」
彼を巻き込んだのは彼に媚が通じない上に態度を指導されたからだろう。
私が言うとマレーナは歪んだ笑みを浮かべた。
「別に、あの男を抱き込んだ方が都合が良いと思っただけよ。嫉妬かしら奥様?」
図星を指したと思ったのだろう。勝ち誇った顔のマレーナに私は首を傾げて見せる。
「嫉妬? ブライアンにしか相手にされず、あんな男のせいで人生が狂った貴方ごときに?」
「なっ!」
「私やカーヴェルをその掌で弄べると思った? 単に貴方がブライアンに身も心も弄ばれただけよ」
私が悪女というのなら貴方は頭が悪いだけの女だわ。
表情を消した私が言うとマレーナは悔し気に唇を噛みしめて黙り込んだ。




