81.
日が落ち夕食の時間になっても伝言通りレインは帰ってこなかった。
入浴を済ませ後は寝るだけになってもだ。
アイリを伴い私は地下牢に向かう。
そして見張り役のクレイグにブライアンを彼の私室に運ぶよう命じた。
「流石に座った体勢で一晩置いたら体に悪いし、何よりここは冷えるでしょう」
そう伝えるとクレイグはブライアンの縄を解き軽々と背負う。
私とアイリは彼らを連れてブライアンの部屋へと向かった。
「このベッドに彼を置いて」
クレイグは私の命令通りにした。
両手両足を縛られたままブライアンはベッドで熟睡を続ける。
「外から鍵をかけるから逃げられないわ、貴方も自分の部屋で休みなさい」
そう言って私たちとクレイグはブライアンの部屋の前で別れる。
自室に戻るとアイリが淹れてくれた濃い紅茶を飲んでベッドに入った。
暫く目を閉じて色々と考える。
結婚して屋敷に来て初夜でケビンに暴行されかけたことを思い出す。
原作のエリカはケビンの酷い言葉にショックを受け気絶した。
でも私は逆にエリカの中から目覚めてしまった。
どうして、原作とは違ってしまったのだろう。
そんなことを考えていると遠くから鈴の音が聞こえる。
私は跳ね起きた。
今身に着けているのはブラウスとスカートだ、寝間着でない。
部屋の隅の椅子で待機していたアイリは既に立ち上がっていた。
机に置いておいた燭台を既に手に取っている。
「ブライアンの部屋に行くわよ」
私とアイリは大急ぎで部屋を飛び出しブライアンの部屋に行く。
既に扉の外からでも何か揉めている声がしていた。持っていた鍵を使い開ける。
「カーヴェル、大丈夫?!」
「大丈夫です、奥様」
部屋の中央では暴れるメイドを取り押さえる若き家令の姿が有った。
彼にはこっそりこの部屋で待機して貰っていたのだ。
ブライアンを目立つように運び、彼はその隙に別の廊下からこっそり部屋に入って貰った。
「奥様、リーネです」
「……やっぱり自分の手は汚さないのね」
アイリの報告を聞く。ある意味徹底しているマレーナに感心した。
持参した燭台でアイリが女の顔を照らす。確かに見覚えが有った。
「リーネはどこから入って来たの?」
「上からです」
「離して、離してったら!」
片手でリーネを拘束してカーヴェルが上を指さす。
確かに天井の一部分がずれていた。そんなところに入口があったのかと驚く。
「チェストや本棚、机などを階段代わりに使って侵入してきました」
「成程……」
天井からそのまま床に落ちれば大きな音がするし怪我をするかもしれない。
けれど家具が下にあればそこの部分は解決するということだ。
「初代アベニウス公爵はとても猜疑心の強い人間で、屋敷中を見張る手段を持っていたという噂は聞いたことがあります」
けれど御伽噺だと思っていました。カーヴェルは表情を強張らせて言う。
部屋に帰ったら天井を突いてまわる必要があるなと私は思った。
「ブライアンも天井通路を知っていて家具をそのように配置した可能性があるわね」
もしマレーナの部屋と繋がっていたなら逢引きもし放題だ。おぞましい。
私は騒動に気付かず熟睡している中年男性を睨みつけた。
「天井の抜け穴はどこに繋がっているのかしら」
「私が確認してまいります、奥様の部屋に繋がっていないかも」
アイリはそう言うと身軽に天井裏に消えた。
その間事前に用意していた縄でリーネの手足を拘束する。
私は彼女が奇妙に大人しいことに気付いた。
「何か言いたいことはある?」
「奥様……御屋敷を辞めるのでどうか見逃してください」
「それは無理ね」
私が即答するとリーネは顔を憤怒に染めて喚き始めた。
カーヴェルが口を押さえようとするが私は止めた。
「聞きなさい泥棒さん。ここで騒いで大勢の使用人たちが起きて一番困るのは貴方なのよ」
私は部屋から持って来たシーリングスタンプを彼女の前に置いた。赤くなっていた顔が青くなる。
「ち、ちが……私は、それを奪われて、返して欲しかっただけで」
「エミリエのスタンプ、貴方が強引に借りて壊れたと返さないままの物よね」
「それは……」
「ブライアンの部屋からこれが見つかれば、壊れたという自分の嘘がばれると思った?」
呆れながら言う。するとリーネは気まずそうな顔をしていた。
「どう考えても正直に謝るのが一番良いと思うけれど」
「だってエミリエは私より家格が高くて、父親に言いつけられたら……!」
「だったら最初から盗まなければ良かったでしょう」
「後から、後から教えて貰ったんです、エミリエが父親に可愛がられてるってことも……!」
「だからブライアンの部屋から盗み出して本当に壊そうとした?馬鹿ね」
「だって、気づかれさえしなければ全部、無かったことになったのに……!」
浅はかすぎるメイドの考えに呆れ返る。
リーネは正直に謝った結果のペナルティよりも、危険な賭けに勝つことを選んだ。
「今回その賭けに勝つことが出来ても罪を隠し続ければ又次の危機は訪れ続けるのよ」
「その前に屋敷を辞めるつもりだったんです……!それまではマレーナさんが協力してくれるって」
「何故マレーナが?」
「レオ様付きメイドが又トラブルを起こしたら自分の立場が悪くなるからって……」
「ああそう」
マレーナはそうやってリーネを操ったのか。
彼女が納得する理由を用意して。自分が困るというのは半分本当で半分は嘘だろう。
「そうね、マレーナの立場は貴方も彼女も想像できない程に悪くなるでしょうね」
「エミリエのスタンプなんて、欲しいと思わなきゃ良かった……」
今更後悔するリーネに呆れ沈黙する。
すると嗅覚が不自然な花の匂いを感じ始めた。
「……何か香水みたいな匂いがするわね」
「奥様の香りに似ていらっしゃいますね」
「えっ」
ブライアンの部屋でアイリに指摘された時の事を思い出し、つい嫌な顔をする。
しかし今はベッドサイドにその香油は無かった。私が他の証拠品と一緒に持って行ったのだ。
「恐らく彼女がこの部屋で焚こうとしたそちらの蝋燭の残り香かと思います」
「蝋燭? 何で?」
「彼女は侵入した後暫く部屋を漁っていました。灯りが必要だったのかと」
カーヴェルの視線の先にテーブルがあり、確かに小さな燭台とマッチが置いてあった。
燭台に刺さった蝋燭の火は既に消えている。
「カーヴェルが消したの?」
「はい、やたらと炎が大きく甘い香りのせいでくらくらしてくる気がして不安になり急いで消しました」
「今は平気?」
「はい、そこまで長時間燃えていたわけではないので……」
私はその報告に頷くと蝋燭に鼻を近づける。
確かに甘い匂いの残滓がした。
私がつけていた香水に似ている気がして嫌な気分になる。
しかし同時に悪い考えが閃いた。
私は燭台を持ちリーネの元に行く。
「この蝋燭には眠り薬か毒が混ぜ込まれているわね」
「えっ!」
「マレーナから渡されたものでしょう?」
リーネが愕然とした表情をする。
私は哀れむような表情で告げた。
「彼女はブライアンを始末した上で貴方を犯人にするつもりだったのよ。もしくは同時に始末するつもりだったかもしれない」
「う、嘘よ。これは余っている蝋燭がこれしか無かったからって……」
「燭台用の蝋燭なんて幾らでも彼女なら入手できるのに?」
「それは、でも……」
「貴方はきっと見つからないスタンプを探し続けて部屋を漁りながら意識を失って死んでいったでしょうね。ブライアンと一緒に」
間違いなく犯人だと思われるに違いないわ。私はしみじみと告げる。
「この抜け穴を教えたのもマレーナね、貴方に辞職するよう勧めたのも彼女かしら?」
「そ、それは……」
「貴方が眠った後にマレーナが天井から来てブライアンを刺す。そして天井に戻って、上から重石でもして開かないようにする」
すると後はブライアンの死体と不法侵入した貴方だけよ。私が言うとリーネは死人のような顔色になった。
「で、でもそうしたら私がどこから入ったかわからないわ!」
「ブライアンの部屋に隠れていたことになるでしょうね。カーヴェルが先程そうしたように」
「そ、そんな……私はマレーナに利用されていただけってこと?!」
涙を浮かべてリーネが叫ぶ。全く同情する気になれなかった。




