72.
「……あの勢いだと、屋敷の入り口までブライアンを引きずっていくんじゃない?」
「大丈夫よ、目的の屋敷から少し離れた所に馬車を止めるよう指示済みだから」
レインの疑問に私は答える。
「馬車から下ろされたブライアンは恐らく逃げるか手紙を破るかの二択、その時点で取り押さえて連れ帰るよう言ってあるわ」
昨日の段階で馬車の手配とクレイグへの詳しい指示は出してある。
ブライアンは泣き言を無視して連日家令代行をさせたので目に見えて余裕が無くなっている。
今はもう後先考えることなど出来なくなっている筈だ。
(……先程もアイリに配達させろと無意味な事を言っていたし)
アイリが配達を代行したところでブライアンが偽の手紙を作成した事実は変わらない。
彼女が元メイドの家族と話した時点でそのことに気付かれて終わりだ。
けれど彼はもうそこまで頭が回らなくなっているのだ。
別に私はブライアンに不必要な程仕事を押し付けた訳では無い。
彼の願い通りカーヴェルが家令として働けなくなり、ブライアン自身がカーヴェルの仕事をするようになっただけだ。
(確かにブライアンがピンピンしていたら使用人全員健康診断の手配とかをさせようと思っていたけれど……)
今ならわかる。ブライアンにそれは手に負えない。
内心呆れる私にレインが話しかけてくる。
「ブライアンがクレイグに捕らえられて帰ってきたらどうするんだい? そのまま手紙の窃盗や損壊とかで突き出すとか?」
「逃げ出しても手紙を破っても特別な部屋に隔離するわ、もう準備は出来ているの。 ねえアイリ」
「はい、奥様」
その特別な部屋というのは地下室のことだ。既に鍵もホルガーから渡されている。
意外なことだがケビン以外も利用して良いらしい。
「その後はブライアンが悪さをしたことを理由に堂々と彼の部屋を漁ることが出来るわ」
「成程、カーヴェルに飲ませた睡眠薬を探すんだね」
私は納得したように言うレインに微笑んだ。
「一仕事終わったから私はロン君とレオ君に会いに行くわ」
「なら私は医師としての仕事に戻ろうかな。と言ってもやることは特に無いけれど」
彼の課題づくりの手伝いでもしようかな、そう言ってレインは部屋を出て行った。
「……カーヴェルはやっぱり大人しく休んでいないようね」
気持ちはわかる。私だって前世で大病で入院している間、じっと眠っているだけなんて出来なかった。
だから読書にはまって「一輪の花は氷を溶かす」に出会ったわけだし。
しかしそこで読書じゃなくレオたちの課題づくりをするのがカーヴェルらしいと思う。
「確かに急ぎじゃない書類仕事をしている時が一番落ち着くと言っていたけれど……」
彼も父のホルガーと同じで仕事人間なのかもしれない。
私はそう思いながら公爵夫人室を後にした。
そのままロンの子供部屋へと行く。途中メイドの何人かと擦れ違う。
皆端によって礼をしてきたが、その表情は物言いたげだ。
ブライアンが家令代行として正しく屋敷を取り仕切れていないのだろう。
けれどそれを私に訴えることはしない。私が公爵夫人で彼女たちは使用人だから。
「ごめんなさいね、もう少しだけ耐えてくれる? 貴方たちが働きやすい屋敷にするように努力するから」
私は独り言のように言う。メイドが驚いたように顔を上げこちらを見た。
しかしすぐに又礼の姿勢に戻る。
彼女たちが作業に戻れるように私はその場から去った。
そしてロンの部屋の前で扉を叩く。名乗るとすぐに扉が開かれた。
「エリカ姉様!」
はしゃいだ声と共にロンが笑顔で現れた。その後ろでマーサが穏やかな笑みを浮かべている。
彼の目線にしゃがみこむと無邪気に抱き着いてきた。少し驚いたがそのまま抱き返す。
「ロン坊ちゃま! 申し訳御座いません、奥様」
「構わないわ。子供に抱き着かれるのは好きよ」
謝罪するマーサに笑顔で返す。
ふと自分が手土産を持っていないことに気付いた。前回はクッキーを持って来たのに。
「どうしたの?」
「貴方が喜ぶお菓子を持ってくれば良かったと思ったの」
ロンに不思議そうに訊かれ素直に答える。
「お菓子なんていらない、姉様が来てくれて嬉しい!」
そう言って彼は又笑顔を浮かべた。その無邪気な優しさに心が浄化される。
同時にここまで歓迎してくれる彼を大して構えていないことに改めて罪悪感を覚えた。
ロンに約束していた一緒の夕食さえまだ叶えてあげられていない。
「ごめんなさいね、一緒に遊んだりご飯を食べることが出来なくて……」
私が謝罪するとロンは穏やかな顔で首を振った。
「大丈夫。カーヴェルさんのことで姉様が今凄く忙しいって知ってるから」
「ロン君……」
「僕、カーヴェルさん優しくて好きだよ。勉強教えてくれたり、色んなお話をしてくれた」
「そうだったの」
「高い高いしてくれたり、おんぶもしてくれたんだよ!」
ロンは興奮したように言う。
初耳だった。カーヴェルがレオだけでなくロンとも親交を深めていたなんて。
確かにレオだけに構うのは不平等だが、私は彼にそんなことを命じていなかった。
そしてロンも兄だけじゃなく自分とも遊んでくれと言い出す性格では無いだろう。
「カーヴェルと仲良くなったのね」
「うん、エリカ姉様が忙しいから代わりに私が遊びに来ましたって」
「ロン坊ちゃま、それですとカーヴェルさんが遊びたがっているように聞こえてしまいますよ」
優しくたしなめるマーサに、だってとロンが言い返す。
「でもエリカ姉様はいつも僕と遊びたがっているから、自分が代わりに遊ぶんだって言ってたよ」
「そう……」
私は上手く言葉にならない思いをカーヴェルに抱く。
確かにロンの事を気にかけていた。けれどいつもという訳では無い。
寧ろ騒ぎを起こすレオの対処ばかり考えて、大人しく良い子なロンについては後回しにしてしまっていた。
でも正直にそれを告げてどうなるのか。私は困ったような笑顔を作った。
「もうカーヴェルったら、内緒にしておいてとお願いしたのに……」
彼がロンの為に吐いた優しい嘘を私は守る。そしてこれからは嘘では無く真実にしていこう。
そう温かな子供の体を抱きしめながら心に誓った。
「僕エリカ姉様もカーヴェルさんも大好きだよ。だから二人とも元気でいて欲しい」
「ええ、カーヴェルも休んだら元気になるわ」
私はロンを元気づけるように言った。
彼は私の言葉に安堵を浮かべたが、その表情が曇る。
「どうしたの?」
私が尋ねたがロンは答えずマーサを見上げた。
釣られるように私もマーサへ視線を移す。
「……マーサ、言って良い?」
そうロンに質問されたマーサは静かな表情で「こちらに」と私を室内に誘った。




