66.
「眠り姫がさっさと夢から覚めたことだし、直接事情を訊いてみようか」
そう言いながらレインは扉に内側から鍵をかける。
眼鏡をかけたカーヴェルは頷くと私たちにだけ聞こえるぐらいの声量で話し始めた。
「少し前にレオ様を子供部屋まで送り届けた後、紅茶を飲んでいくようにと命じられました」
「それは……レオ君から?」
「はい、奥様」
カーヴェルの言葉に、レオが自分は悪くないと叫んだことを思い出した。
やはり彼は今回の件に加担していたのだ。気分が重くなる。
(レオはどうしても悪い道へと進んでしまうのかしら……)
私が原作通りの行動をしなかったから彼は魔王と呼ばれる人物になる。
私が本物のエリカじゃないから。
物事が上手く行かない度にじわじわと底に積もって行った後悔が急に喉元までせり上がって来た。
それを呑み込みたくて黙っていると、肩を軽く叩かれる。
「息子の過ちに胸を痛める、まるで本物の母親のようだね」
レインはそう言うとウィンクをした。
「でも君は本物の母親にはなれない」
直後彼女に真顔で告げられる。
その表情がケビンに似ていて、私は心臓が凍りそうになった。
「何てことを」
カーヴェルがレインに怒りを露にする。
彼のここまで怒りが滲んだ声なんて初めて聞いた気がする。
しかしそれを向けられたレインは涼し気な顔だ。
「誤解しないでくれ、エリカ嬢を貶める気は無い。ただ事実を述べただけだ」
そしてその事実を彼女は理解していた筈だ。
話を向けられた私は頷く。
「その上で君は本当の母親にはなれないが出来る限りの事はしてやりたいと考えているんじゃないかな、優しい人だからね」
優しさだけではない。レオが間違えた成長をすればケビン以上に残忍な大人になる可能性が高いからだ。
私はそうなった彼に報復されたくなかった。けれどそんなことは言えない。
沈黙している私を無視してレインは言葉を続ける。
「でも君は公爵夫人を長くやるつもりが無い。つまりその優しさも責任感も中途半端だ」
頭をガツンと殴られた気持ちになる。
でもその衝撃で心を覆っていた物が幾つかポロポロと落ちた気がした。
レインの指摘は事実だ。私は前世の記憶を取り戻した瞬間からケビンに離婚されることを想定して生きていた。
だからと言って原作エリカの様に暢気に楽しく暮らしたいとは思えず、自分なりに頑張っているつもりだった。
その傲慢な考えが間違いだということに気付かずに。
(本物のエリカはその行動で周囲を幸せにしていた)
それが意図したものでも無意識下でも彼女は結果を出していた。私はきっとそのことに焦っていた。
レオに構うのも、彼がトラブルメーカーだからだけじゃない。
あの子供が将来魔王公爵になって私に危害を加えることを恐れていたからだけじゃない。
レオの更生に失敗してしまったら、それは私が前世の記憶を取り戻したせいになる。それが怖かった。
(……若くて優秀なカーヴェルに敵意を向け功を焦るブライアンと同じだわ)
そう考えるとブライアンにいちいち苛立っていた自分が滑稽になる。
それはそれとしてブライアンは許さないが。
私は深く息を吸うとレインに向き直った。
「そうね、私は自分が数年以内に離婚されると思っている。それは事実よ」
でも今気づいた。それが何だと言うのか。
たとえば前世で私が経営していた会社。
そこの新入社員が「私は三年後に辞めるので仕事は適当にして全力ではやりません」みたいな態度でいたら私はどう思うか。しばく。
「中途半端はもう辞める。離婚される直前まで私はアベニウス公爵夫人でこの屋敷の女主人。そしてレオとロン二人の保護者よ」
それらを全力でこなした上で離婚された後の身の振り方も考えればいいのだ。
夫が急死した時も、彼の会社を継いだ時も、その後に虐待されていた子供を養子にした時も、あの時もこの時も私はもっと全力だった。
原作のエリカが持っている数々の美徳を私は持っていない。でもその逆だってあるのだ。本気を出せ私。
「……思い出したわ。私はとても強欲でそれが取り柄でもあったのよ」
「奥様」
「そして小賢しい人間が本当に大嫌いだった。マレーナもブライアンも纏めて潰して差し上げるわ」
私がそう冷たく吐き捨てるとレインは何故かうっとりと頬を染めた。




