6.
「メイドの娘風情が、公爵家の威を借るなんて……」
マーベラ夫人は地を這うような声で言う。
その顔色は赤くなったり青くなったり忙しい。
私に対しての怒りと公爵夫人という立場に対しての焦りで混乱しているのだろう。
「そのメイドの娘風情を正妻に迎えたのはアベニウス公爵様よ」
原作のエリカなら絶対言わないことを口にしながら私は唇だけで微笑んだ。
台詞だけなら、夫からの寵愛を笠に着て傲慢に振舞う愛人上がりの後妻のようだ。
実際マーベラ夫人にはそう見えているのだろう。こちらを睨みつける眼差しが強くなる。
「何故ケビン坊ちゃま……いえ旦那様はこんな女と再婚したのか」
こちらを見ながら憎々しげな台詞を言う彼女に内心少しだけ同意した。
実際不思議ではある。何故ケビンはエリカとの結婚を承諾したのだろうか。
エリカは一応オルソン伯爵家の次女だがその母親はメイドだ。
家庭教師のマーベラ夫人が知っているぐらいなのだからケビンもそれを知っている筈。
しかも異母姉たちにばらまかれた男好きの悪女というイメージも付随している。
異母姉のローズは性格に多大な難はあるがオルソン伯爵とその正妻の娘で外見は妖艶な美女だ。
年齢もケビンとそこまで離れてはいない。
彼女と結婚するつもりだったのに、その代わりに差し出されたエリカとよく素直に結婚したものだ。
(まあ、それは後で本人に聞くなりすればいいわね)
シンプルに若い女が好きとかいうゲスな理由かもしれない。
そんなことを考えつつ私はロンの肩を優しく叩いた。
「貴方は部屋に戻って遊んでいなさい」
「えっ、でも勉強は……?」
驚いた顔でロンは言う。そして怯えた顔でマーベラ夫人を見てすぐ視線を戻す。
私も対面の老婦人を見つめた。怒りの感情が最終的に勝ったようで赤鬼のような形相だった。
彼女の年齢を考えると余り興奮させ過ぎてはいけない気もする。しかしマーベラ夫人は沸点が低すぎるのだ。
「あの様子で家庭教師は無理だわ。大丈夫、誰かに責められたら私に部屋で遊ぶよう言われたと答えなさい」
優しく微笑んで私は少年の華奢な肩を押した。
子供をこの場に居させたくない。マーベラ夫人がどんな醜い罵倒をするかわからないからだ。
「……又、会える?」
「会えるわよ、同じ屋敷に住んでいるのだから」
どうやらロンにはそこまで嫌われていないようだ。
私は彼の台詞に笑って頷いた。すると安心した様子でロンは少しずつ私たちから遠ざかり見えなくなった。
ここまで時間的猶予を与えていたら流石にマーベラ夫人も多少落ち着きを取り戻すだろう。
私はロンが見えなくなるまで見送ると彼女に向き直る。
すると血管が切れそうな様子の老婦人が立っていた。怒りは全く去っていないらしい。
「……そうやって男をすぐ取り込んで誑かす!こんな毒婦を男所帯の公爵邸に置いておくのが間違っているのよ!」
「気持ち悪いことを言わないで頂戴。あの子はまだ幼い子供よ」
私は心からうんざりと言った。
八歳の子供を男呼ばわりは本当に気持ちが悪い。
「いいえ、男は子供の内から男です。だからこそお前のような悪女は教育に悪いのよ!」
「その言葉そっくりそのままお返しするわ。貴方は教師に相応しくない」
「生意気な女ね、立場を弁えなさい!」
「その言葉もお返しするわ。ねえ、いつまでこのやり取りを続けるつもりかしら」
私はうんざりとマーベラ夫人に言った。
ロンとレオに対し歪んだ価値観を吹き込むのを止めさせたいだけなのに話が進まない。
この場で解雇を言い渡せたらどれだけスッキリするだろう。
しかし最終的な判断を下すのはマーベラ夫人の雇用主であり公爵家当主のケビンだ。
原作ではマーベラ夫人を容赦なく解雇する彼だがそれはエリカへの殺人未遂をやらかしたからだ。
ケビンはレオとロンの関係が彼女の教育によってここまで歪むのを放置してきた父親だ。
なので今私がマーベラ夫人に解雇を言い渡してもケビンが撤回する可能性はあった。
だがそれを目の前の老女に伝えて勝ち誇らせるつもりは無い。
朝食を持って来たメイドの態度でもわかるが、この屋敷では弱気になったら負ける。
「今の私の立場はアベニウス公爵夫人。なのに悪女だの生意気な女だのと家庭教師の立場で好き勝手言い過ぎじゃない?」
「調子に乗らないで、すぐ離縁されてただのメイドに戻るに決まっているわ! お前のような若さと顔しか取り柄の無い女!」
公爵夫人であることを強調する私に対し、冷や汗を流しながらマーベラ夫人は歪んだ笑みで罵倒する。
もう自分で自分の口を止められないのだろう。このまま興奮させ続けて卒倒からの退場でも狙うか。
そんな黒いことを考えていた私の耳に氷のような声が刺さった。
「……それは俺が若さと顔だけで妻を選ぶ男だと言いたいのか?」
マーベラ夫人の顔が、青を通り越して白くなる。
その視線の先を追うと、王都に出立した筈のケビンが立っていた。