54.
レオの部屋の前に到着する。
私は中のメイドに呼びかけようとするカーヴェルを制しそっとドアノブを回した。
鍵は掛かっていなかった。
「奥様?」
不思議そうに呼びかけるカーヴェルにジェスチャーで静かにするよう命じる。
彼はすぐさま心得た顔で口を閉じた。
私は一言も発さず扉を開けツカツカと中へ入って行った。
「えっ、誰、いや、どなたですか?」
広い部屋にはメイドが数人いて掃除をしている様子だった。
しかし前回見た顔は一人もいない。
メイドたちは突然入って来た私に驚いたようだが、私も少しだけ驚いていた。
しかしそれは失望と苛立ちに変わる。
あのメイドたちは恐らく彼女たちに仕事を押し付けたのだ。
「私はエリカ。アベニウス公爵様と結婚した女よ」
「あっ、奥様!申し訳御座いません、気づくのが遅くなり……!」
「構わないわ。名乗らず入って来てごめんなさいね」
「いいえ! あの……何か私たちに御用でしょうか?」
「貴方たちにもだけれど、レオ君をベッドで寝かせて上げたいの」
私は体をずらしカーヴェルがメイドたちに見えるようにした。
彼がおんぶしているレオの存在に気付かせる為だ。
けれど彼女たちはカーヴェルの麗しい顔面の虜になったらしい。
そんなにもか。
自分も初対面の彼に一瞬見惚れしたのを棚に上げて私は思った。
「この人はカーヴェル。ホルガーの息子で新しい家令になる予定よ」
「この方が、新しい家令様……」
私がそう言うとメイドたちは目をキラキラと輝かせた。
その喜びが熱心な労働に繋がってくれればいいと願う。
「そして彼が背負っているのが眠っているレオ君」
「えっ」
「色々あって家出しようとして連れ戻したけれど疲れて眠ったみたい」
そう言うとメイドたちは全員驚いた顔をした。
けれど大きな声や叫び声は上げなかった。
「だからまず彼を布団で休ませてあげたいの。それは可能かしら」
「はっ、はい、大丈夫です。ご案内致します」
メイドの中で一番背の高い娘が先導するように私の前に来る。
目線で合図するとゆっくりと歩き出した。私とカーヴェルでついていくと大して歩きもせず別の扉の前に到着する。
「こちらがレオ坊ちゃまの寝室です。ベッドメイキングと清掃は完了しております」
「有難う」
扉を開けたメイドに私は礼を言う。
中に入ろうとした瞬間、奇妙な匂いが鼻腔を擽った。
悪臭では無い。寧ろいい香りだ。
たとえるなら花の香りのバスオイルを入れた風呂の湯気の匂いだ。
「もしかして、あちらにバスルームがある?」
「はい、レオ坊ちゃま用のバスルームがございます」
「今日ってレオ君は入浴済みかしら?」
私が質問するとメイドは少し考えた後首を振った。
「いえ、レオ坊ちゃまは寒い時期は就寝の少し前に入浴するのを好まれますので」
「そう……わかったわ。カーヴェル」
「はい、奥様」
「取り敢えずレオ君をベッドに寝かせましょう」
私はそう言うとレオの寝室に入った。
まだ小さな体には不似合いな程大きなベッドだ。
私が使っている物と同じかそれ以上かもしれない。
(大人になっても使えるようにということかしら?)
それともレオの寝相が悪すぎるのか。小さな疑問を私はしまい込んだ。
ただベッド自体は高級品だとわかる。きっと公爵夫人室にあるものより良い木材を使っている。
前世で自分が使っていたベッドを思い出しながらそう判断した。
良い睡眠の為に結構拘ったのに最期は病室のベッドで命を終えたのが皮肉だ。
そんなことを考えている私の前でカーヴェルがスムーズな仕草で靴などを脱がせレオをベッドに寝かせた。
レオは一切起きることなくすやすやと眠っている。
「寝間着に着替えさせた方が宜しいでしょうか?」
そう尋ねられ私は首を振る。
「夕飯前だし少ししたら起きてくる可能性があるわ。良く眠っているようだし今はこのままで様子を見ましょう」
「かしこまりました」
「じゃあ私たちは外に出ましょう。貴方もついてきて頂戴」
「はっ、はい」
メイドに向かい告げて私はレオの寝室を出る。そして花の香りがする方に歩いて行った。
「ここがレオ君の浴室かしら」
「はい」
「わかったわ」
レオ付きのメイドに確認し、私は扉を開ける。
先程まで誰かが入浴していましたとアピールするように甘い湿気が私を襲った。
豪華な装飾がされた洗面所を見る。
子供用とは思えない、恐らく化粧水などが当たり前のように置かれていた。
「これは……」
カーヴェルが驚いたように呟く。
私は猫足のバスタブに視線を移した。
湯は入っていないが濡れているのはわかる。
「レオ君が入浴する前に清掃をしたの?」
私はメイドに質問する。彼女は答えられなかった。
「質問を変えるわね。きっと誰かが清掃したと私は思うの。……このバスタブを我が物のように毎日清掃しているのは誰かわかる?」
「……恐らくは、侍女長様だと思います」
「使用人専用の浴場があるのにね。そちらを掃除すればいいのに」
私の呟きにメイドは俯き、カーヴェルは静かに絶句していた。




