43.
来た道を戻るようにホルガーたちの元へ足を運ぶ。
「次から次へとキリがないわね」
舌打ちを我慢しつつ呟く。しかしあのカーヴェルとホルガーが口論するとは予想外だった。
けれど理由など考えれば瞬時に幾つも浮かぶ。
一番確率が高いのは家令を急に継がされることへの反発だろうか。
原作ではカーヴェルは特に不満を見せず父の後を継いでいたが、就任時期が違う。
彼が屋敷にやってくるのは「一輪の花は氷を溶かす」でエリカが子供たちや他の使用人たちから好かれ終わった後だ。
つまり結婚式から数か月後になる。
その時たまたまカーヴェルが暇で就職先を探していたかもしれないのだ。
ホルガーは元々跡を継がせるつもりだと言っていたが、恐らく意思確認をこまめにはしていないだろう。
もししているならリリーが亡くなった後にカーヴェルを公爵邸に再就職させている筈だ。
(リリーは亡くなったからケビンがカーヴェルに嫉妬する理由も無いものね)
親は覚えている約束を子は忘れているなんてよくある。その逆もだ。
原作だってエリカの知らない所でカーヴェル親子は揉めていたかもしれなかった。
そんなことを考えていると扉の前に着く。
開ける前にそっと耳を押しあてた。
確かに騒いでいる声が聞こえる。恐らくこれはホルガーの声だろう。
不審者みたいな行為だがついてきたアイリは特に止めてこなかった。
目を閉じ暫し盗み聞きに集中する。
「……口論、かしら?」
扉から耳を離し私は呟く。騒いでいるのは一人だけだ。
カーヴェルも反論しているかもしれないが、大きな声ではないからか聞こえなかった。
とりあえず掴み合いの喧嘩まではしていないと判断し扉を開ける。
「そこまでよ!」
何となく犯行現場の踏み込む警官のつもりで叫んだ。
部屋の中には男性二人。ベッドにはホルガーが身を起こしていて、その前に青年が一人。
「お、奥様?!」
ホルガーの驚いたような声が聞こえたが、私も同じぐらい驚いていた。
初めて対面したカーヴェルは赤い髪を後ろで一つに纏めて眼鏡をかけていた。
白いシャツと黒いズボンという割合地味な恰好をしている。
しかし、場から浮き上がって見える程の特別感がある。
(カーヴェルって、こんなに美形だったかしら?)
ケビン、レインと美形を続けて見て来たのにそれでも驚いてしまう。
なんというか繊細な顔立ちなのだ。私はケビンが彼に嫉妬した理由を少しだけ理解してしまった。
確かにこの顔を自分の惚れた女性の近くに置きたくはないだろうと。
(確かに原作でもカーヴェルの作画は異様に丁寧だったわね)
恐らく出番が少ないことと、悲劇の死を迎える事。
ヒロインであるエリカの初恋相手であることが加味されたのだと思う。
琥珀色の瞳が眼鏡の奥からこちらを見た瞬間、勝手に胸が跳ね上がる。
確か「一輪の花は氷を溶かす」でも初対面のカーヴェルの美貌にエリカは心を奪われ、彼に挨拶されてもぼんやりとしていた。
そしてしばらくすると我に返り、はわはわとしながら挨拶を返すのだ。
当然私が同じ振る舞いをすることはない。
「騒いでいる声が表まで聞こえて来たけれど、何事なの?」
「も、申し訳御座いません、うっ!」
ホルガーが体ごと謝罪しようとして悲鳴を上げる。腰が痛んだのだろう。
彼は自分が家令を引退するレベルの腰痛持ちであるというのを常に頭に入れて欲しい。
ホルガーの代わりにカーヴェルが頭を下げた。家令だった父と同じぐらいしっかりした礼だった。
「申し訳御座いません」
「私はエリカ・アベニウスよ」
目線で問いかけられた気がするので名乗る。
「有難う御座います奥様、私はカーヴェル・コートネイと申します。ホルガーの息子です」
「話は聞いているわ、それで二人は何を言い争っていたの?」
「言い争っていたつもりは無いのですが……」
カーヴェルの琥珀色の瞳が父に向けられる。
私も同じように視線を向けるとホルガーは気まずそうに顔を背けた。後ろめたいことがあると白状しているようなものだ。
「ホルガー、先程まで騒いでいた内容を説明して」
「しかし奥様」
「説明して、と私は言ったのだけれど」
しかしも案山子も無い。私が冷たく見下ろすと叱られた子供のような顔でホルガーは私を見た。
当然それで許す気はない。私が黙って見つめているとホルガーは諦めたように口を開いた。
「その、来るのが遅いと、注意を……」
「……貴方、ねえ」
私は心底呆れた。
今日連絡して今日屋敷に来た。それの何が不満なのか。
「急に息子さんを呼びつけた自覚はある?」
「ですが、カーヴェルは今無職で家にずっといる筈なのです!」
「……家にずっとはおりませんよ」
必死に主張するホルガーの台詞にカーヴェルの静かな声が答える。
彼は無に近い表情で父親を見ていた。整い過ぎた顔が人形の様だ。
「次の職が見つかるまで甥の家庭教師を引き受けたと二か月前に手紙を送りましたが?」
「ホルガー……貴方、本当に……」
ここまで家族に無関心なら奥さんだって死の床に呼ぼうと思わないだろう。
それなのに息子が呼べば当日に来てくれるのは恵まれているとも言えた。
「取り敢えず息子さんに謝罪しなさい」
「奥様?!」
驚いたようにホルガーが顔を上げる。
私だって老人に近い年齢の相手にこんなこと言いたくなかった。
「カーヴェルさんはある意味私が呼んだようなものよ。急な呼び出しに応じて貰ったのに理不尽に責め立てるなんて」
「で、ですが……」
「謝罪しなさい。アベニウス公爵夫人としての命令です」
私はカーヴェルと同じぐらい冷たい目で俯くホルガーを見下ろした。
息子に謝るのが嫌なら、謝らなければいけないことをするなと思った。