42.
私は立ち上がって彼女に近づく。
「どうしたの?」
「その、奥様……夕食をロン坊ちゃまと一緒にというのは叶いますでしょうか?」
意を決したような顔でマーサは私に告げる。
一瞬何を言われているかわからなかった。台詞を脳内で繰り返す。
そしてやっと彼女は私にロンと一緒に食事をさせたいのだと気付いた。
もう夕食について考える時間か驚きつつ考え事が増えたことに疲労を少しだけ覚えた。
ロンとは多少話しただけだが可愛くて良い子だと思っている。
そして私は子供が嫌いではない。寧ろ好きな方だろう。
(感情だけで判断するなら歓迎だけれど……)
期待を浮かべたマーサの瞳を見つめる。私は口を開いた。
「その場合レオ君にも声掛けするけれど構わないかしら」
「えっ……」
予想通りマーサの顔は曇った。
レオとロンの仲は良好ではない。だからロンの侍女としては当然の感情だろう。
しかしだからこそレオにも食事の誘いをする必要があるのだ。
「私もロン君と食事をしたいわ。けれどロン君とだけ食事をしたとレオ君側が知ったらどう思うかしら」
多分レオは単純に怒るし寂しがるし悲しむだろうと予想する。
けれどレオ派の使用人たちはもっと面倒なことを考えるだろう。
新しい公爵夫人は弟の方に肩入れしているときっと判断する。
下衆の勘繰りをするならマーサは元々その狙いが有ったのかもしれない。
だとしても乗ってあげるつもりは無かった。
「兄弟間で完全な平等は無理だと知っているけれど、必要なところでは平等を心掛けたいの」
「それは……」
「自分だけ誘われなかったという気持ちは、いつまでも残り続けるものよ」
茨姫の童話の魔女を思い出す。
レオに呪いをかける力は無いだろうが仲間はずれにした私とロンへの恨みは抱えるだろう。
「兄弟を無理に仲良くさせはしないけれど、拗らせたくもないの。わかってくれるわね」
「確かに……私が軽率でした」
マーサは恥じ入るような表情で頭を下げた。
本心はわからないが話が通じやすくて助かる。
「多分レオ君は私が夕食に誘っても断ると思うわ。でも誘われたけれど断ったという形が彼のプライドには必要だと思うから」
「成程……奥様は私よりずっとお若いのに心の機微にお詳しいですね」
感心したように言われて私は内心焦る。確かに十七歳の娘の発言では無かったかもしれない。
私は軽く咳ばらいをした。
「異母姉がとてもプライドが高い人だったから……色々気を使わないと暮らしていけなかったのよ」
嘘ではない。ローズは本当にプライドだけは高かった。誇りを守るようなことは一切していなかったが。
自分が暴飲暴食で太り気味だった時に粗食で痩せていたエリカ(私)が気に入らなくて、いつも以上に虐めていたことも覚えている。
体型だけでなく肌荒れでも似たような因縁を付けられた。異母姉の理不尽な行為には枚挙に暇がない。
「ふふ、私の分の食事を奪って食べて太ったら怒鳴り散らすような人でしたから……」
「奥様……苦労されていらっしゃったのですね」
遠い目をする私にマーサが同情したように言った。
ローズはきっと今も伯爵邸で暴飲暴食をしているのだろうが、彼女が幾ら太ろうが最早知ったことではない。
「そんな訳だからレオ君も夕飯に誘っていいかロン君に確認して貰っていいかしら?」
「かしこまりまし……」
マーサが頷きかけて止める。
そして視線を廊下側へ向けた。
私も彼女と眼差しを同じ方向にする。
「アイリ」
侍女として目を付けていたメイドが立っていた。
今までそこで控えていた訳では無いのはマーサの態度でわかる。
「何かあったの」
彼女がスムーズに話せるようにこちらから会話を向けた。
「カーヴェル様がいらっしゃいました」
「カーヴェルが?」
「はい、ただホルガー様と口論になりそうです」
ですので私の独断で報告に参りました。そうアイリは冷静な表情で告げる。
次から次へとトラブルが尽きない。片付ければ倍積まれる書類の様だ。
「……わかったわ。マーサ、夕飯は次の機会に私から誘わせてね」
「心よりお待ちしております、奥様」
残念そうな表情を浮かべるロン付きの侍女に私は申し訳なく思った。