37.
レインと二人で様子を見に行くとホルガーは既に手紙を書き終えていた。
表情も随分と落ち着いたように見える。痛み止めが効いているのだろうか。
「奥様、ご確認お願い致します」
ホルガーは私が近づくと、そう言ってまだ封をしていない手紙を差し出した。
その時も姿勢を正そうとしたので慌てて止める。
「怪我人なのだから無理はしないで。じゃあ読むわね」
ホルガーから受け取った手紙に目を通す。
まずケビンに対し務めを全う出来なかった謝罪が長々と書かれている。
それから後任に息子のカーヴェルを推薦したいという旨とカーヴェルの簡単な経歴も記されていた。
二十四歳独身で次男。数か月前まで城に文官として勤めていた。
カーヴェルについて知っている情報と知らなかった情報のどちらも便箋には記されていた。
元文官だというのは漫画の時点で知っているが、城勤めだったのは初耳だ。
「カーヴェルさんは文官として働いていたとのことだけれど突然家令に転職させて大丈夫?」
「愚息のことは呼び捨てで結構です奥様。カーヴェルには私の後継として家令の職務は学ばせてあります」
だったら何故、アベニウス公爵家で勤務させず城で文官をさせていたのだろう。
私は少しだけ疑問に思った。
「カーヴェルか、懐かしいな。昔公爵邸で従者見習いをしていたよね?」
短い間だったけれど。レインがホルガーへと話しかける。
ホルガーは何とも言えない表情をした。
「そうでございますね」
「ケビンと相性が悪かったみたいだけれど、今はもう大丈夫なのかい?」
「……当時とは状況が異なりますので」
採用するか決めるのは公爵様ですが。そうホルガーは静かに言った。
原作通りならケビンはカーヴェルを採用するだろう。
しかしケビンとカーヴェルの相性が悪いなんて初耳だ。
確かに「一輪の花は氷を溶かす」の原作では二人ともエリカを愛するという共通点はある。
一見恋のライバルみたいな関係に見えるかもしれない。
でもカーヴェルはエリカへの恋心を決して口に出したりしない。
相手は自分が仕えている主人の妻だから当たり前ではあるが。
前世では読者だったからキャラたちの内心を神の視点で知ることが出来た。
カーヴェルとエリカは互いに淡い想いを抱いていたが、決して口にすることはない。
エリカがその気持ちを恋だと気付くのはカーヴェルが彼女を庇って溺死した後だ。
その後ケビンは落ち込む彼女を気遣い心の傷を癒そうとするがエリカがカーヴェルを好きになりかけていたことは知らない。
それでもエリカの心を悲しみで占めるカーヴェルに嫉妬していたのはある意味流石だと思う。
(……カーヴェルは恋のライバルというより死んでケビンの恋をアシストをした形に思えるわね)
でも今回は彼を溺死させるつもりは全く無いし、ケビンと私の関係は冷え切っているのでそうはならないだろう。
私は便箋を丁寧に折り畳んで封筒に戻した。
「そうね、決めるのは公爵様だわ。ホルガー、この手紙はもうお持ちしても大丈夫?」
「はい、お願い致します」
頭を下げる彼に私は頷くとレインの方に視線を向けた。
「私は今から公爵執務室に伺いますけれど、レイン先生はいかがなさいますか」
「私はそろそろ帰ろうかな。公爵夫人用の薬箱を用意しなければいけないし……なるべく早く欲しいんだよね?」
「ええ、できれば」
そう答えるとレインはわかったと頷く。
私はホルガーに向き直った。
「じゃあ今から私は公爵様に会いに行くけれど、息子さんの意思は確認しなくて大丈夫なのね?」
「大丈夫です。愚息は今無職ですし、私が家令を続けられなくなった時に引き継ぐというのは決まっておりますので」
「……わかったわ」
私は封筒を持つと部屋を出た。
そして公爵執務室へと歩みを進める。
しかしホルガーが廊下でぎっくり腰になったというのに一切ケビンは無反応だ。様子見の使いも出してこない。
私は助けを呼ぶ為大声を出したし一切騒ぎに気付かないなんてことも無いと思うのだが。
もしかして既に屋敷には居ないのではないのだろうか。
そう思いつつ、公爵執務室の扉を叩く。すぐ反応があった。
「誰だ」
「エリカです、公爵様。ホルガーの件でお話があります」
「入れ」
「失礼致します」
扉を開けると当たり前だがケビンがいた。彼の背後の壁にはリリーの肖像画が飾ってある。
この部屋でのケビンと自分のやり取りを思い出し、誰か護衛を連れてくれば良かったと今更後悔した。
(……でも護衛だって公爵家の使用人だもの。ケビンが邪魔するなと命令したらそれまでよね)
そう考えると自分の立場の弱さが嫌になる。
使用人も含め、自分だけの財産が欲しいと改めて思った。