29.
公爵家かかりつけ医師のレインは嫌な顔をせず廊下まで来てくれた。
そしてホルガーを手早く診察し、判断を下す。
「とりあえず安静にできる場所まで運ぼうか」
私はその指示を受けて男性使用人二人にホルガーを彼の部屋のベッドまで運んでもらった。
その間もずっとホルガーは謝罪の言葉を呻き声の合間に小声で言い続けていた。
「痛み止めと湿布を出すけれど、それで業務に戻ろうとはしないように」
「はい……」
「ここまで重症だと、ちゃんと専門で診て貰った上でコルセットも作って貰った方が良いね。かかりつけが無いなら紹介状を書くけれど」
「お願いします……」
四つん這いで腰だけ上げた姿勢でホルガーが言う。
使用人たちには部屋の外で待機して貰った。老執事の尊厳は出来る限り守ってあげたい。
レインはホルガーに最後に食事した時刻などを問診すると言葉通り複数の薬を彼に処方した。
「こっちの薬は強いから必ず何か食べてから飲むように。それと一日二回まで、最低五時間は空けて……」
「あの、いいかしら」
私は二人の会話に割り込む。
「ホルガーのご家族を呼んだ方が良いと思うのだけれど」
彼が実家療養するにしても家族や使用人の手助けが必要になるだろう。
それに公爵邸にあるホルガーの荷物を引き取ってもらう必要もある。
「そうだね。迎えは必要だと思うし家族にも可能なら説明しておきたい」
レインは私の意見に同意してくれた。穏やかな口調だった。
すらりとした体に白衣を纏う黒髪と濃紺の瞳の美形医師。
間近で見るとあることに気付く。
(ケビンにどことなく似ているわね……親戚だし年齢も近いから当たり前かもしれないけれど)
レイン・フォスターはアベニウス公爵家の傍系だ。
フォスター男爵家は医者の名家で代々アベニウス公爵家のかかりつけ医を担当している。
親戚だからというだけでなく腕も確かだからだ。その中でもレインは天才医師の名を欲しいままにしていた。
でもそんな長所を台無しにする欠点がある。セクハラ癖だ。
ただ今のところ漫画内で見たようなエリカへのセクハラは行われていない。
単純に患者がホルガーだということと、そんな場合では無いからだろう。
(ずっとこの調子で居ればいいのに)
私は真面目な表情で話しているレインを観察しながら思った。
「アベニウス公爵家のように屈強な使用人が常にいればいいけれど、そうでないなら車椅子の導入も視野に入れた方が良い」
「やっぱり……この腰が完治することは、難しいでしょうか」
「緩和は出来ても完治は難しいね。この調子だと今までに何回も繰り返してろくな治療もしていないだろう」
「はい……」
レインとホルガー二人の会話を聞いているだけで気が重くなってくる。あと腰に鈍痛を感じ始める。
今の私は十代の若者だというのに。
「あの……ホルガーが腰痛治療を満足に行えなかった原因って家令としての仕事が大変だったからじゃないかしら」
私がそう発言すると二人の視線がこちらに集中した。
アベニウス公爵家の当主は定期的に王都に逗留する上に性格があれで、公爵夫人は十年近く不在。
そんな状態だと家令であるホルガーが公爵家の大黒柱代わりになる場面もそこそこあったでは無いだろうか。
ケビンが王都に行っている時とか判断仰ぐ相手もいないだろうし。
「ホルガーが必要な時に休養を取れない環境に公爵家が追い込んでしまったというなら治療費は負担するべきだと思うわ」
「奥様……」
ホルガーが目を潤ませながらこちらを見てくる。年老いた小型犬の様だと何故か思った。
「最終的に公爵様の判断になるけれど、提案自体はしてもいいと思うの」
私はそう二人に語り掛ける。彼の重症化した腰痛は半分ぐらい労災では無いかと。
これは決して私がホルガーを精神的に揺さぶった結果トドメを刺したことに関する罪悪感を誤魔化す為の行動ではない。
ケビンが治療費を出すのを断れば話は終わり、許可をしたら私もついでにホルガーに感謝される。
そして運が良ければホルガーの息子のカーヴェルからの評価も何かする前から上がる筈だ。
どうせこの後はケビンにホルガーについて退職含めて報告しなきゃいけないのだから、ついでに損しない賭けをしてもいいではないか。
私は誠実そうな表情を浮かべつつ打算していた。




