21.
最初は私を睨みつけていたマーベラ夫人だがこちらが鞭を手に取ると視線が泳いだ。
そして後ろに控えていたホルガーに血走った眼を向ける。
「ホルガー、この恩知らず!」
マーベラ夫人はしわがれた声で自分より年下の家令を罵倒する。
「昔お前が先代公爵様を怒らせた時に私が取り成してやったことを忘れたの?!」
続けて叫んだ内容に私は呆れた。
こういう人間は前世にもいた。昔便宜を図ったことを延々と恩に着せてくる。
「……当時の事は、感謝しております」
苦し気にホルガーが言う。しかし当然マーベラ夫人はそれで納得しない。
「なら私をここから出して小娘を牢に入れなさい! 恩を返しなさい!」
「本当に情けないわね」
聞いていられなくて口を挟んだ。
「マーベラ夫人、貴方みたいなのを恩着せがましいって言うのよ」
「何ですって……!」
「それに貴方みたいな口が過ぎる人が今まで家庭教師を出来ていたのは、きっとホルガーのお陰よ」
私はそう言ってホルガーに視線を向けた。彼は苦し気な表情をしている。
半分当てずっぽうで口にしたがどうやら事実のようだ。
(……悪い人では無いのでしょうけれど)
この家の家令にはきっと向いていない。ホルガーは貫禄があるように見えて気が弱いのだ。
「でもホルガーも庇い切れなくなった。それぐらいの失態を公爵の前でした自覚はある?」
「貴方がそう仕組んだのでしょう、 子供たちに媚びてこの家に居座る為に!」
「そう妄想するのは勝手だけれど居座る気はないわ。子供に媚びた覚えも無いしね」
寧ろレオに関しては媚びるどころか怒らせて何回も癇癪を起こさせている。
「どうだか。公爵夫人と威張っていられるのはこの家だけ。実家ではメイド女の子供でしかない癖に」
鼻で笑うマーベラ夫人に私は首を傾げた。
「前から疑問だったけれど、私がメイドの娘というのはどこから知ったのかしら?」
「オルソン伯爵が花嫁交換の嘆願をする時にメイドの娘だから気位も高くなく従順だと熱弁していたのよ、知らなかったの?」
「……そんなことを」
「メイドのいる前で恥ずかしげもなく口にしたから公爵家の人間は皆知っているわ。娘も娘なら父親も父親ね!」
オルソン伯爵のことまで堂々と馬鹿にし出したマーベラ夫人は半分自暴自棄にも見えた。
しかし意外な情報源に私は内心驚いていた。伯爵本人がエリカはメイドの娘だと早々にばらした上にそれが長所だとアピールしたとは思わなかったのだ。
(……気位が高くなく従順、ね)
その逆の存在はすぐに思い浮かぶ。目の前のマーベラ夫人、そしてオルソン伯爵夫人とその娘のローズだ。
もしかしたら伯爵は自分の正妻と娘に嫌気が差しているのかもしれないなと何となく思った。
だから美しく従順なメイドに手を出したのだろうか。だとしても迷惑な話だ。
マーベラ夫人は私が父の発言について考えているのをどうやら苦悩していると思っているらしい。
目を爛々とさせたまま歪んだ笑みを浮かべている。私はその観察眼の無さに呆れた。
「マーベラ夫人、貴方……オルソン伯爵のことも見下しているようだけれど、それはメイドの娘を公爵夫人に推薦したから?」
「当たり前じゃない、由緒あるアベニウス公爵家に平民メイドの血を入れるなんて有り得ないことだわ!」
まるで子供を叱りつけるヒステリックな母親の様にマーベラ夫人は喚く。
私はそれを一瞥した後でホルガーに視線を移した。
「有り得ない、ね……ホルガー、アベニウス公爵家の七代目夫人の出自は知っている?」
彼は一瞬目を見開いた後ゆっくりと口を開いた。
「……キッチンメイドです。彼女は七代目当主の大好物であるキルシュケーキが得意料理でした」
漫画で見たのと同じ情報が家令の口から紡がれる。
そして図書室から私が持ち出した本にも似たようなことが書いてあった。
美貌と優れた料理の腕で公爵夫人に成り上がったメイドのシンデレラストーリーが。
「ダリア・アベニウス。彼女は五人の子供を産み、その中の一人が公爵家を継いだ。もう既にメイドの血は入っているのよね」
私は言いながらちらりとマーベラ夫人の顔を観察する。
見たことの無いような表情をしていた。一番近いのは驚愕か呆然だろうか。
「本に載るぐらい有名だしホルガーは当然知っていたのよね?」
「……はい、奥様」
「わたしもよ。家庭教師を名乗る方がこれを御存じないというのなら……勉強不足にも程があると思うわ」
私はわざとらしく呆れ、持っていた本をマーベラに見せつけた。
王族と名門貴族の家系について記載されている本だ。
アベニウス公爵家はケビンで十六代目だから、メイドのダリアが公爵夫人になったのは大分昔ではあるが調べればすぐわかる。
ちなみにこれもある意味政略結婚の一つではあるのだ。
「七代目国王が平民の女優を王妃に決定した時、追従するように高位貴族の何人かが平民を妻にしたのだけど……そちらは流石に御存知よね?」
マーベラ夫人は唇を強く引き結んで何も言わない。ただ小刻みに震えていた。
それこそが何より雄弁な回答だった。




