2.
翌日、私が起きた頃には公爵邸にケビンの姿は無かった。
原作だとエリカが挨拶をしようと彼を探している途中に不在に気づく。
そして自分のせいで初夜が上手く行かなかったから避けられているのだと落ち込むのだ。
でも私は当然そんなことはしない。
なので朝食を運んで来た公爵邸のメイドが嫌味な笑い方とわざわざ不在を教えて来た。
「旦那様は夜明け前に出立されたのに奥様となった方が見送りもせずこんな時間になるまで寝ていらっしゃるなんて……」
「貴方の名前を教えて。その言葉と一緒に旦那様とやらに報告するから。この酷い紅茶の味の感想も一緒にね」
私がそう言い返すと途端真っ青になった。
何故この手の人間は言い返されることを全く予想していないのだろう。
本当に不思議だ。
エリカの外見が若く儚げだから軽んじるのだろうか。
或いは悪女という噂を鵜呑みにして歪んだ正義感で蔑んでいるのか。
「貴方が私にどんな感情を抱いてもどうでもいい。でも貴方は使用人で私は雇用主の配偶者。それは理解出来ている?」
渋い紅茶を一口だけ飲んで残す。朝食のメニューは小さなパン一個と野菜スープでそちらはまともな味だった。
伯爵家で出されていた物は水と残り物のカチカチになったパンだったので断然マシな食事だ。でも原作を知っているからわかる。
これは公爵夫人の食事としてはとても粗末なものだ。嫌がらせをされている。
原作のエリカはそんなことも知らず大喜びで食べていた。その純朴な姿に一部の使用人は毒気を抜かれるのだ。
ただ前世の記憶を取り戻した今の私はそんな振舞いをする必要を感じないし、恐らく出来ない。
「紅茶もスープも水と変わらないぐらい温くしてくれて有難う。とても食べやすかったわ」
私はにこりと笑う。これも嫌がらせだと知っている。
でも異母姉のローズとその母親なら寧ろどちらも沸騰直前で出して早く飲めと言ってくるだろうなと思った。
公爵家の使用人たちはエリカに嫌がらせをしてくる。でもエリカは伯爵家でもっと酷い扱いをされていた。
だから原作の彼女は嫌がらせの大半に気付かずニコニコと生活をして使用人たちにも懐く。そして屋敷のアイドル状態になるのだ。
簡単に言うと公爵家の使用人たちの大体はちょろい。
今目の前にいるメイドだって、エリカの嬉しそうな食事風景を一週間程見ている内にちゃんとした量を持ってくるようになる。
ただ私は一週間も待ちたくない。
「この五歳の子供ならやっと満腹になりそうな食事についても公爵様に報告させて貰うわね」
「えっ、そんな……」
「それが嫌なら次からはまともな量を持って来て頂戴」
「わ、わかりました……」
「食べ終わったわ。これを持って出て行って頂戴」
五分もせず朝食を終え私はメイドに食器を差し出した。
「お、奥様何かデザートでも」
「いいわ。今は疲れたから休みたいの」
そう言いながらメイドを追い払う。
入って来た時の得意げで意地悪な笑顔が嘘のように意気消沈して彼女は出て行った。
結局彼女はケビンが屋敷を留守にした理由は話さなかった。でも私は知っている。
彼は王都に仕事で出向しただけだ。日帰りが大変な距離だし向こうにも滞在用の邸宅がある。
なので屋敷に居ないのは別に初夜がどうこうという話では無い。
王都で数日かかる仕事があればそちらで寝泊まりするというだけの話だ。
それを昨日今日とはいえ妻になった相手に全く話して無いのはどうかと思う。手紙すら残していない。
「報連相も出来ないなんて無能ね」
私は誰もいない部屋で呟いた。そして軽く腹をさする。やはり十代後半の体であの量は満腹には程遠い。
何事も無ければデザートを持ってこさせても良かった。
「何事も無ければ、ね……」
私は溜息を吐くとカーテンを開ける。
そこから見える庭では身形の良い少年が年下の少年をヒステリックに怒鳴りつけていた。
二人はどちらもケビンに似ていた。