14.
寝室別の約束を取り付けた後私はそそくさと執務室から出た。
長い廊下を歩き、公爵夫人室へと戻る。
叩きつけられた背中がそれなりに痛むし、空腹で眩暈もして来た。
一気に体が弱っていく、そのことに自分が先程までずっと興奮していたのだと知った。
緊張をしている自覚はあったけれど、それだけでなくテンションも上がっていたから空腹も痛みも薄らいでいたのだ。
そして気が抜けた今それが一気に襲ってきた。
「五分だけ、一休み……」
階段の前で座り込む。無理して歩いて足を滑らせたりしたくはない。
しかし一度腰を下ろすと根が生えたように動きたくなくなった。
エリカの体は若いのにまるで老人になったようだ。
「……エリカって何歳だっけ」
原作エリカは自分の年齢をよく覚えていなかった。私も知らない。
成人したばかりなのはわかっているから後で調べよう。
元メイドの母が生きている間は彼女が言葉だけでも祝ってくれた。
でもそれは四歳までで以降は無しだ。彼女が流行り病で亡くなったからだ。
ただケビンと結婚させられる前日に、ローズがエリカの部屋に伯爵と共にやって来た。
その時にエリカの髪を掴んで「こいつでもいいでしょ、先月成人したんだから」と叫んだ。
今思い出すと、ローズはエリカすら忘れていた彼女の誕生日をきっちり覚えていたことになる。何だか笑えた。
そして改めて自覚する。
オルソン伯爵家の全てが憎い。一番憎いのは当然伯爵だ。
メイドだった母を無理やり穢し愛人にした全ての元凶。
なのに守ることさえせずあっさりと死なせた。
そして伯爵を責めず手籠めにされたメイドとその娘をひたすら甚振った伯爵夫人と異母姉のローズも憎い。
でも今は復讐よりもこの屋敷で生き抜くことが優先だった。
自分にケビン並みの権力があったなら一家を滅茶苦茶にしているだろうと思う。
原作のエリカは復讐とかそんなこと全く考えていなかった。
自分が同じ立場になった今逆に何故憎まなかったのだろうと不思議だ。
(そういやケビンたちに聖女とか天使とか言われてたわね)
原作エリカの人間離れしたその綺麗で無垢な心にケビンは惹かれ愛するようになって、彼女が微笑んで暮らせる世界を維持することに身を捧げたのだろう。
そしてそれが結果として彼自身を救うことになった。
(でも私には無理ね、あの男は救えない)
この世界のケビンは長く生きない気がする。
それは決して願望だけではない。根拠めいたものはある。
エリカと出会わなかったレオはケビン以上の暴君公爵になると前世で作者は語っていた。
絵に描かれたその姿は年若い青年だった。つまりレオがまだ若い内にアベニウス公爵家の世代交代が行われるということだ。
(……十年から十五年後位かしら)
勿論ケビンが公爵家当主の座を嫌がり早々にレオへ譲る可能性だってある。
しかし支配欲の強いあの男が元気な内にそんなことをするだろうか。首を傾げる。
(やっぱり私の願望も入っているのかもしれないわね)
背中の痛みに耐えながら苦笑いした。そして立ち上がる。
私はレオを暴君にするつもりは無い。だから未来も変わるかもしれない。
考えるべきは未確定な十年後より今何をすべきかだ。
ケビンとは上手く距離を取りつつ、彼から離縁を切り出されるのを待ちたい。
彼が突然再婚した理由は知っている。
エリカにケビンが惹かれなかった場合、ある契機が来たらあっさり捨てるつもりだったことも。
離縁なんて望むところだと言いたいがそう言えない事情がある。
エリカには帰る家も生活する為の資金も技能も何もない。若さと美貌だけだ。
だからそれらをケビンに離縁される前に手に入れる必要がある。すぐ追い出されるのは困るのだ。
それに心残りが出来てしまった。レオとロン、二人の子供だ。
(まずあの子たちに良い影響を与える家庭教師や使用人たちを選抜しなければ)
ゆっくり廊下を歩きながら考える。
ケビンは基本子供を放置しているから、一度雇ってしまえば余程の理由が無い限り家庭教師たちを解雇することは無いだろう。
使用人たちには決して先妻を侮辱しないよう強く言い聞かせる必要がある。普通はしないだろうけれど。
(そして……屋敷にいる間に公爵家の財産を使って、私はこの世界で生き抜く為の知識と財産を得る)
今の私は掃除や菓子作りは知っていても、一人で生きていく方法は知らない。
教養や礼儀作法は見えないアクセサリーだ。学ぶことが公爵夫人に必須だと言えばケビンも止めないだろう。
そんなことを考えながら公爵夫人室へ歩を進める。すると女性同士の諍いが聞こえて来た。
「何よ、良い子ぶっちゃって。あんただってオルソン伯爵家は失礼で嫌いだって言ってたじゃない!」
「それは最初に候補だった令嬢と、突然妹の方に花嫁を代えてくれと言ってきた事によ。新しい奥様の事じゃないわ」
頭痛がするのは喚いているのが私付きのメイドだからだ。
彼女は原作のエリカとは仲が良かったのに、今のエリカ(私)とはとことん相性が悪いらしい。
(でもこれで解雇を言い渡しやすくなった)
そう良かった探しをしながらメイド二人に近づいていく。
落ち着いた声で反論していたメイドの方が先に私に気付いた。




