50.
こういう人物は前世の仕事相手にも存在した。
主に電話でのやりとりだが頑なに名前も身分も明かさない。
『俺が誰かわからないのか?』
『いいから社長につなげ』
私への直通や携帯番号にならまだしも、この手の輩は大抵代表電話にかけてくる。
会社組織が大きくなるにつれ社長だった私の元に声が届くことは少なくなった。
けれどそれでも耳に届いたなら当然抗議をした。
それでも納得しないなら関係性を切った。
今目の前にいる男だって本音を言えばそうしてやりたい。
相手の身分が推定王族でさえ無ければ。
(しかしクリス王子で合っているのかしら)
金髪碧眼の貴公子。はっきり言うとケビンやカーヴェルのような唯一無二な個性や美貌では無い。
頭に王冠でも載せてくれればわかりやすいがそこまで親切ではないようだ。
(結婚式にいたような気もするけれど……)
当日エリカは余程恐慌状態だったのか、結婚式の記憶自体がぼんやりしている。
けれどそれでも頑張って思い出そうとした。
参列客の中に似たような髪色と背格好の人物は居たと思う。
ただそれは一人や二人では無いのだ。
そしてケビンに紹介された記憶も、クリスから挨拶を受けた覚えも無かった。
私は王族関連の書籍や参列客一覧を確認して無かったことを後悔した。
だが反省してそれで終わりではない。敵は今もにやにやと笑いながら目の前にいるのだ。
そう、敵だ。
推定クリス王子からは謎の悪意と敵意を感じる。
原作からして掴みどころが無い享楽主義のチェシャ猫みたいなところはあったが、ここまで悪質では無かった筈だ。
寧ろエリカ相手には優しく面白く、時には寡黙なケビンの通訳をしてくれる親切な男性キャラという立ち位置だった筈だ。
(まあ私が原作通りのエリカじゃないわけだし)
「一つだけ確認させて頂いても宜しいかしら?」
「何かな、ご婦人」
「この屋敷を訪れたのは火急の御用件で?」
「さあ? どうだろうね」
にやにやとしながら男は言う。私はわざとらしく溜息を吐いた。
「では、御自身の名前を言えるようになってから出直して下さる?」
「は?」
金髪の青年は唖然とした表情を浮かべた。
その表情になるのはおかしいだろうと私は冷静に思った。
でもカーヴェル相手に長々会話を引っ張れたという成功体験で油断していたのかもしれない。
もしかしたらこういう意地の悪い遊びをするのは今回が初めてでは無い可能性もある。
「いや、俺を追い出すような真似をして本当に良いのかい?」
「そもそも招いていませんもの」
「……俺が誰か、本当にわからないの?」
それなりに秀麗な顔に焦りで歪んだ笑みを貼り付け男は言う。
私は首を心持ち傾げ扇を閉じた。
「そうでございますね、高貴な雰囲気や特徴から見て王族の方……」
私が言いかけると焦っていた顔に再び傲慢な笑みが浮かぶ。
それを冷めた目で見つめながら私は続きを言った。
「かと思いましたが、国の代表であり象徴、そして貴族を従える立場にある王族の方は決してこんな卑しい遊びはなさらないでしょうし」
「……は?」
私の言葉に推定クリス王子は奇妙な無表情になった。
そのことに内心ぞっとする。薄氷をヒールで歩いているような恐怖と緊張があった。
けれどだからと言ってこの男の言いなりで時間を潰す訳にはいかない。少なくとも今日だけは。
「名乗らず、用件も告げず、目下の者が困る顔を見てにやにや楽しむ方を王族扱いしたなら私が旦那様に叱られてしまいますわ」
なんて無礼で物知らずな妻なのだと。
私は申し訳なさそうに目を伏せた。
「私は確かに無知な女ですが、それでも王族の方々の高貴さと素晴らしさは聞き齧りですが存じ上げておりますの」
「ねえ、お前、ちょっと……」
「なのにこんな無礼な方相手に委縮し続けたなら公爵家の名折れでしょう」
お前呼ばわりされたことを無視して私は言う。
「……名も用件も言えぬ貴方が王族のどなたかなら話は別ですが」
それはそれで一国民として複雑な気持ちでございます。
私は扇を開いて口元を隠した。




