13.
(カーヴェルに関しては私が湖に近づかなければ大丈夫よね)
原作とはかなり流れが変わってしまうが今更だ。
毒を食らわば皿までという言葉が浮かんだ。
カーヴェルは初対面の段階からエリカに礼儀正しい人物だった。
家令として味方になってくれれば有難い。
私はそこまでを数秒で考えると目の前のケビンに向き合う。
「ならそのように致します。それと私付きのメイドを解雇して雇い直しても宜しいですか」
「好きにしろ。それと公爵夫人を気取るならそのみっともないドレスも買い替えろ、いいな」
「ドレスをですか?」
「そうだ、ずっと似合わないと思っていた」
私は濃い赤色のドレスの裾をつまんだ。これは異母姉ローズのお古だ。
一見派手で豪奢だがところどころに染みやほつれがある。それを理由にローズが着なくなった物だ。
使用人扱いされていた私はドレスなんて持っていなかった。結婚の際に新しく用意されることも無い。
似合わないのはわかっていたが着るものがこれしか無かったのだ。
ちなみに靴もサイズが微妙に合わない。
伯爵家でエリカが来ていた服はゴミ扱いで捨てられたことだろう。
ウエディングドレス一式と初夜用の下着や寝間着は公爵家が用意した。
でもこちらも異母姉ローズのものをそのまま流用しただけだ。
なので私の体に合う服を入手できるのは有難い。
原作ではケビン自らがエリカをブティックに連れて行き、ドレスを買い与えたのでこちらも流れが違う。
(でも自分で選ぶ方が気楽よね)
ケビンが無意識に先妻リリーに似た格好をエリカにさせていたというエピソードも消えるだろうが別に良い。
寧ろ消えた方が良い。
「ドレス以外に下着や靴や化粧品なども公爵家の家計から出して構いませんか?」
「好きにしろ」
図々しいかと思ったがケビンはあっさり承諾した。
さっきから好きにしろしか言わないが、その無関心さを遠慮なく利用させて頂こう。
「では支払いについてですが」
「細かいことはホルガーに聞け。それとお前に言い渡すことがある」
「私に、ですか?」
言い渡すとは何だろう。お前を愛するつもりは無いとかだろうか。
そんな台詞言われたら万歳三唱すると思う。
「そうだ。……夫婦の話になる、貴様はついてくるな」
ケビンがレオに言い捨て私の手首を掴むと執務室に連れ込もうとする。
そう、ここまでの会話はなんと廊下で行われていた。
長い廊下に私たち以外の人間は見当たらないが、それは存在しないとイコールではない。
マーベラ夫人との庭でのやり取りを覗き見していた使用人もいたのだから。
噂になることは覚悟しておこう。まともな感覚なら公爵頭おかしいとなる筈だがそれは期待しないでおく。
「……わかりました」
レオは大人しく頷いた。その顔がどこか傷ついていたのは父であるケビンに名前すら呼んで貰えないからだろうか。
彼が傷つく理由は正直多すぎて絞り切れなかった。
ケビンは息子の返事に反応することもなく私を部屋に連れ込もうとする。代わりに私がレオに話しかけた。
このままだとレオは廊下にずっと立ち続けるかもしれないからだ。
「部屋に戻ってお菓子でも食べるといいわ」
「……わかった」
ケビンと私に対してで言葉遣いに差があるが、素直に承諾しただけ進歩だろう。
執務室へと半ば引きずられながら私はレオが部屋から遠ざかる姿を見えた。
それも扉が閉じられると完全に見えなくなる。
ケビンと室内で二人きりだ。嫌悪と恐怖を強く感じた。
無事にここから出たい。その為には彼のペースに巻き込まれないようにしなければいけない。
「公爵様、お話とは何でしょうか?」
私は即口火を切った。
背中に扉の厚みを感じる。後ろ手はさりげなくドアノブにかかっていた。
危険を感じたらすぐ外に出る為だった。
私の警戒が伝わったのかケビンが馬鹿にするように口端を上げる。
「俺が怖いか」
「お話とは何でしょうか」
先程とは逆に今度は私が同じ台詞を繰り返した。
怖いですとも怖くないですとも言いたくない。それを理由にこちらを弄ぶ予感がしたからだ。
「お話とは、私のような女を妻にした理由でしょうか?」
そう口にするとケビンの目が驚きに少し見開かれた。
別にエリカがそのことに疑問を持つのは変でも何でもないのに。
「……そうだ。俺はお前を妻だとは思わない、決して勘違いをするな」
「かしこまりました。形だけの公爵夫人を務めさせて頂きます」
扉の前で深々と頭を下げる。
頭を上げたらケビンが何とも言えない顔をしていた。望み通りの答えを出したのに。
もしかして私が驚いたり悲しんだり嫌がると思ったのだろうか。
(この屋敷に入ってから一切愛情どころか妻として尊重する姿勢すら見せなかった癖に?)
心の底から疑問がわいたが、ついさっきレオの見せた悲しい表情を思い出す。
確かにあの子は別れ際悲しんでいた。でもそれはケビンが父親でレオがその子供だからだ。
だから名前すら呼ばれず雑な扱いをされても威圧されても父親を慕っている。でも私は違う。
(形だけの夫婦なんて所詮は他人よ)
そんなことすら目の前の男は知らないのだ。知らないことすら気づいていないのかもしれない。
「では決して勘違いされないように寝室は完全に分けましょう。私は今後も自分の寝室でのみ寝泊まり致します」
「……何?」
「だって先妻様に申し訳がございませんもの。……公爵様が私を女としてお望みになるなら話は別ですが」
唇だけで微笑んで告げる。途端扉に叩きつけられた。
背中が痛む。けれど今度は唇を奪われることは無い。
当たり前だ、この場でそれをしたなら彼はリリーへの想いを自ら汚すことになる。
「……悪女が、図に乗るなよ。そんなことある筈がない」
吐き捨てるように言われ、手を離される。舌打ちして背を向けた彼に内心勝ったと思った。
これでケビンは私に手を出すことが出来ない。
少なくとも彼が先妻に強い未練を残している限り。
私は視線を執務室の壁へ移す。
そこには美しいがどこか儚げな女性が肖像画の中で微笑んでいた。




