31.
「奥様っ?!」
「お前のっ、せいで!!」
「いやっ、痛いっ!」
自分に向かって何度も扇を叩きつける女主人にメイドは戸惑い混じりの悲鳴を上げた。
何故そんなショックを受けたような態度なのだろうか。私は疑問に思う。
伯爵夫人の気性を考えればそうなるのは自然だろう。
(もしかしたら伯爵夫人の気に入りだったのかもしれないわね)
そう顔を両手で庇い叫ぶメイドを見ながら思う。
だから給仕として私たちの前に現れた。
過去エリカに対し込み入った方法で嫌がらせしたのは伯爵夫人に媚びる為もあったのかもしれない。
だとして、今このように折檻されているのを見ても全く同情の気持ちはわいてこない。
彼女が私の手に紅茶を跳ねさせた時に邪悪な笑みを浮かべたのを知っているからだ。
「手、大丈夫かい?」
そんな事を考えていると横からレインが訊ねて来る。
私は曖昧に笑って頷いた。
赤みは既に大分引いていて、痛みも感じない。
水膨れにもならないだろう。
過去の火傷も跡は残っていない。
今にして思うと紅茶にしては毎回温度が低かった。かといってあのメイドが手心を加えた訳ではないだろう。
「念のため軟膏を塗って置こうか」
「準備が良いですね」
「職業病だね」
レインがポケットから軟膏を取り出し私の手の甲に塗る。
その間も伯爵夫人はメイドを扇で打ち据えていた。見ているだけで痛そうだ。
細い非力な体をしているが的確に皮膚の薄い所や固い所を狙って振り下ろしている。
メイドの手の甲や手首はみるみると真っ赤になった。
火傷より余程尾を引くのでは無いだろうか。
レインはそんなことを考えている私の手に何故か包帯を巻く。
「流石にこれは不要だわ」
「軟膏が乾かないようにね」
そう言われては受け入れるしかない。
大仰な印象になった手を見ながら溜息を吐いた。アイリ辺りが目にしたらどんな表情をするのだろう。
「そろそろ宜しいのではなくて?」
手当が終わりレインの手が離れていくのを待って私は言う。
伯爵夫人が疲労に肩を震わせ、メイドは床に縮こまってすすり泣いている。
まだ一言も肝心な話をしていない時点でこの醜態だ。
(この人と血が繋がっていなくて良かった)
私は険しい顔をしたままの伯爵夫人を冷めた目で見つめた。
「求めたのは謝罪であって、折檻を観劇する権利では無いのですけれど」
「……チッ、ほら謝罪なさい!」
扇で口を隠し伯爵夫人が言う。舌打ちを隠したつもりだろう。
よろよろと乱れた髪でメイドが顔を上げる。
床に這いつくばっていたのと涙で化粧がボロボロになって酷い有様だ。
それでも唇を開いて謝罪を口にする。
「も、申し訳ございません……」
「この娘は解雇するわ。それで良いわね」
伯爵夫人は怫然とした表情で話を終わらせようとする。
これでお前の気は済んだだろうとでも言うように。
私はわざと首を傾げて見せた。
「それで良いってどういうこと? 私は未だ謝罪を受けていないけれど」
「は? 貴方は耳が聞こえていないの?」
「私が求めたのはオルソン伯爵家の女主人の謝罪よ」
まっすぐ伯爵夫人の目を見て言う。
当たり前のことを求めていると伝える為に。
けれどそれで素直に頭を下げる人間で無いことはわかっていた。
「何故この私が? 調子に乗らないで……!」
案の定怒りで顔を赤くしながら伯爵夫人が私を怒鳴りつける。
しかしその声は不自然に途絶えた。
その瞳が私以外を見ていることに気付き視線を向ける。
私の横に立っているレインにそれは向けられていた。
「貴方、アベニウス公爵……では無いわね」
「ええ、彼の父方の再従姉妹です」
「公爵の再従兄弟……爵位はお持ちかしら?」
「いえ、家督は兄が継いでいるので私は特に」
「そう……まあ問題無いわね」
何が問題無いのだろうか。
私を無視してレインを見つめる伯爵夫人に嫌な予感がした。




