第9話 鎖を起こす
その夜、道具店の奥の間。
由紀は畳の上に座り、膝の上に鎖を置いていた。
節は冷たく、触れるたびに心臓の鼓動が乱れる。
向かいには影鎖の男と、師匠・仁が座っている。
「……やるのか、やらないのか」
仁の声は低く、しかし焦りを隠していた。
由紀は鎖を見下ろしながら答える。
「やる。……この町を失うよりは、ましだ」
影鎖の男が立ち上がり、懐から細長い箱を取り出す。
蓋を開けると、中には小さな黒い石が入っていた。
石の表面には鎖と同じ紋様が刻まれている。
「これは“核の欠片”だ。自分の核と鎖を繋げる媒介になる」
由紀はそれを受け取り、両手で包み込む。
瞬間、背骨の奥を冷たい何かが這い上がってきた。
石の紋様がゆっくりと赤く灯り、鎖の節が同じ色に呼応する。
「ここからは、お前の時間を削る。抵抗するな」
影鎖の男が鎖を由紀の肩から胸へ回し、節をひとつずつ押し当てていく。
押すたびに記憶の断片が揺らぎ、名前や声が遠くなる。
最後の節が胸元に触れた瞬間、由紀は鋭い痛みと共に叫んだ。
視界が白く弾け、次いで真紅に染まる。
耳元で、知らない言葉が低く囁かれた。
──これは鎖を起こす言葉、古い街守の誓い。
意識が戻った時、鎖は黒鉄から深紅へと変わっていた。
節のひとつひとつが鼓動のように脈打ち、重さは倍になっている。
だが、その代わり胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚が残っていた。
「終わった」
影鎖の男は短く告げ、鎖を解いた。
「これで大門とも渡り合える。ただし──」
「代償は、もう払った」由紀が遮る。
仁は立ち上がり、由紀の肩を叩いた。
「明日の夜明け前、旧市庁舎だ。……戻れない戦いになるぞ」
由紀は頷き、赤く脈打つ鎖を握りしめた。
その瞬間、町の外れから再び鐘の音が響いた。
それはもう、幻聴ではなかった。
旧市庁舎で、大門が目を覚まし始めている。