第7話 家の傍ら
二日目の夜。
籠月町の空は曇り、月明かりがない。
由紀は生まれ育った家の前に立っていた。
古い木造二階建て。玄関脇には、子どもの頃から見慣れた石灯籠がある。
その灯籠の影が、今夜は妙に長く伸びていた。
家の中からは、母の咳き込む音が聞こえる。
病弱な母に、門や鎖のことは一度も話していない。
この家に門を近づけさせるわけにはいかなかった。
「師匠、本当にここで……?」
「匂いを嗅いでみろ」
仁の声に従い、深く息を吸い込む。
湿った土の匂いに、鉄のような渋い臭いが混じっていた。
──芽吹きの匂いだ。
庭の奥、柿の木の根元に、黒い裂け目が走っている。
そこから細い紋様が地面を這い、石灯籠の影と絡まり合っていた。
影が脈打つたび、裂け目が少しずつ広がっていく。
「間に合うか……」
由紀は鎖を構え、裂け目に向かって投げた。
節が紋様を絡め取り、赤く光る。
だが、裂け目は抵抗するように、影の腕を伸ばしてきた。
腕は細いが異様に長く、まるで家の中を覗き込むかのように窓へ向かっていく。
「やらせるか!」
由紀は鎖を引き、影の腕を締め上げる。
しかし、逆方向から別の腕が伸びてきた。
その腕は石灯籠を掴み、持ち上げ──叩きつけた。
重い破砕音。
灯籠が崩れ、破片が庭に散らばる。
由紀の胸に怒りが込み上げた瞬間、別の鎖が割って入った。
影鎖の男だ。
「下を押さえろ。俺が影を切る」
由紀は頷き、裂け目の根元を鎖で縫い付ける。
影鎖の男は、伸びた腕を自らの鎖で切断していった。
腕は粉のように崩れ、裂け目は小さく縮んでいく。
最後の脈動が消えた時、庭の空気が軽くなった。
男は崩れた灯籠を一瞥し、短く言った。
「……三度目はない」
そう告げて、闇に紛れた。
残された由紀は、崩れた灯籠の欠片を拾い上げた。
その手の中で、石は微かに温かかった。
守ったはずの家が、少しずつ侵食されていく──その現実が、胸に重く沈んでいった。