第20話 灰鎖の終わり
北へ向かう街道は、夜の帳がすでに降りていた。
街灯のない道を、三人は鎖を頼りに進む。
由紀の節は何も映さず、ただ微かに震えているだけだった。
それは、灰の匂いがすぐそこにある証だった。
やがて、街道が開け、黒い水面が現れた。
それは湖──かつて外輪を動かすための水源であり、今は濃い靄に覆われている。
湖の中央には、半ば沈んだ古い塔が立っていた。
そこから灰色の光が糸のように伸び、湖面を縫うように走っている。
仁が低く言った。「あれが最後の外輪だ」
影鎖は頷き、由紀を見た。「灰の鎖を断てるのは、お前だけだ」
三人は岸辺に置かれた朽ちた舟に乗り、静かに湖を渡った。
水面はほとんど動かず、櫂を入れるたびに冷たい波紋が広がる。
靄は次第に濃くなり、視界が狭まっていく。
由紀は節を掲げ、光で足元を照らした。
その光が灰色に染まり始めたとき──靄の中から、あの灰色のローブが現れた。
「ここまで来たか」
声は湖の水音と混ざり、低く響く。
由紀は舟の上から問う。「あなたは何者なの」
ローブは首を振った。「名は捨てた。鎖は繋がらず、ただ絡みつくだけだ」
次の瞬間、湖面が裂け、灰色の鎖が何十本も塔から伸びた。
それらは水を切り、舟を絡め取ろうと迫ってくる。
仁と影鎖が前に出て鎖を弾き、由紀は中央で節を構えた。
胸穴が冷たく開き、そこへ赤い残光が一筋流れ込む。
──選べ。赤を捨て、灰を断て。
「……選ばない」
由紀は節を振り下ろし、灰色の鎖と赤い残光を同時に絡め取った。
金属同士が軋み、火花が湖面に散った瞬間、靄の奥から白い影が現れた。
かつて赤と灰を抱えていた影だ。
今、その胸には、赤と灰がひとつに混ざった光が灯っている。
影は由紀の背に手を置き、囁いた。
──私の名を、呼んで。
由紀は迷わず、その名を口にした。
音が湖に広がり、灰色の鎖は一斉に崩れ、霧となって消えていった。
塔が沈み始め、湖面が大きく揺れる。
舟は岸へ押し戻され、三人はなんとか足を着けた。
振り返ると、湖の中央にはもう何もなく、ただ夜の月が映っていた。
仁が鎖を収め、短く言った。「終わったな」
影鎖も静かに頷く。「外輪も、内輪も、もう動かない」
由紀は胸の穴に触れた。そこにはもう光も冷たさもなく、ただ温かな空気が流れていた。
遠くで風が鐘を鳴らす。けれど、それは脅しではなく、ただ夜を告げる音だった。
──
こうして、赤と灰の争いは終わった。
しかし、由紀の胸にはまだ鎖があり、いつか別の色を繋ぐ日が来るだろう。