第13話 廃坑口の風
山道は、町の裏手から緩やかに登っていく。
秋の陽はまだ高いが、木々の影は長く、踏みしめる土はしっとりと湿っていた。
由紀は肩に鎖を掛け、背袋に水と灯油ランプ、そしてミカゲから受け取った古い鉱山図を収めている。
先頭は仁、その後ろに由紀、殿を影鎖が務める。
道の脇には古い鉄柵が続き、錆びた鋲が土に半ば埋もれていた。
「鉱山は戦前に閉じられ、そのまま放置された」と仁が言う。
「掘り残しの脈はどうなるのですか」由紀が尋ねると、仁は短く答えた。
「呼吸を続ける。……赤い脈も同じだ」
廃坑口は、山肌にぽっかりと開いた穴だった。
周囲の岩は灰色で、入口の上には黒く煤けた木枠が残っている。
そこから吹き出す風は、金属と湿った布の匂いを運んできた。
由紀は息を浅くし、鎖を肩から少し下ろして節を握った。
節の表面が冷たく、微かに脈打っている。
坑口の脇に古びた事務小屋があった。
影鎖が扉を押すと、錆びた蝶番が音を立てた。
中は暗く、机や棚が埃をかぶっている。
壁には古い掲示板があり、紙が何枚か残っていた。
その一枚に、赤鉛筆で大きく×印が描かれている坑道図が貼られていた。
「ここが……脈の上」仁が呟く。
由紀はその印と、ミカゲから受け取った地図の赤い線が重なるのを確認した。
小屋を出て坑口に立つと、風が強くなった。
耳の奥で、低い唸りのような音がする。
それは風の音とも違い、何かが深くで軋む音だった。
「入る。逃げ道は三本」仁が短く告げる。
「坑道入り口からの直線、東側の支道、それと……」由紀は岩壁に開いた細い裂け目を指した。「あれを通れば裏手の崖に出られます」
「了解だ」と影鎖が答える。
坑内は、最初の十歩ほどが急な下りだった。
足元の枕木は腐り、石の間に水が溜まっている。
灯油ランプの炎が揺れ、壁の水滴が赤く反射する。
奥に進むほど、赤い反射は濃くなった。
やがて、壁の一部に筋のようなものが現れる。
それは鉱石ではなく、まるで血管のように脈打っていた。
由紀が近づくと、節が共鳴するように鼓動を返す。
「これが……赤い脈」
指先で触れると、冷たさと熱さが同時に走った。
胸の穴が微かに疼き、視界の端に何かが揺れる。
白い衣をまとった影だ。顔はなく、髪が水中のように漂っている。
影はゆっくりと坑道の奥へ引いていく。
由紀たちはその後を追った。
足元の水が深くなり、膝まで浸かる。
天井が低くなり、鎖が岩に擦れる音が響く。
奥に、古びた祭壇のような場所があった。
石で組まれた台の中央に、赤い鉱石が突き出している。
それは脈の核に見えた。
影が鉱石に手をかけた瞬間、坑道全体が低く唸った。
赤い筋が壁じゅうに走り、光を放つ。
由紀は節を核にかけ、力を込めた。
熱が手のひらを焼き、胸の穴が大きく開く感覚が襲う。
その中に、知らない声が響いた──
「返せ」
女の声だった。怒りとも悲しみともつかない響き。
仁が背後から支える。「離すな!」
影鎖が別の鎖を取り出し、核の周囲に巻きつける。
三つの節が同時に光り、坑道の唸りが高まった。
やがて赤い光が鉱石から引き抜かれ、鎖の中へ吸い込まれていく。
影は鉱石から手を離し、後ずさった。
その体が霧のように薄れ、坑道の奥の闇に溶けていった。
光が消え、坑道に静寂が戻る。
由紀の胸の穴はまだ疼くが、そこに冷たい風が通っていく。
それは外の匂いを運んでいた。
坑口に戻ると、空は夕焼けに染まっていた。
仁が短く言う。「核を封じた。だが、これはまだ序章だ」
影鎖も頷いた。「山の下に、もうひとつ大きな脈が眠っている。……種はそこだ」