第1話 鎖の継承
籠月町は、古い町だ。
昭和の看板が色褪せたまま残り、路地の奥には戦前から変わらぬ木造家屋が並ぶ。
夜ともなれば、街灯の光は狭い道を照らすには足りず、影が濃く、風は湿って重い。
観光客は足を止めるが、長居する者はいない。
その外れに、神谷道具店はある。
引き戸は固く、入ると埃の匂いと古木の香りが鼻をつく。
棚には誰が使ったのかもわからぬ古道具が並び、そのほとんどは錆び、欠け、壊れていた。
だが、一番奥のガラス棚だけは違った。
そこには、一巻きの鎖が収められていた。
黒鉄でできているが、節ごとに古代文字のような刻印が彫られ、光の加減で赤く滲む。
鎖はまるで呼吸をしているかのように微かに動き、近づく者の視線を引きつけて離さない。
「……これを、お前に預ける」
低く掠れた声が、背後から響いた。
振り向けば、由紀の師であり、この町を長く守ってきた街守──神谷仁が立っていた。
背は丸く、髪も髭も真白だが、その瞳は若い頃と変わらぬ鋭さを放っている。
「師匠……これは?」
「門を閉じる鎖だ。俺にはもう、その力が残っていない」
“門”──それは異界へ繋がる穴だ。
夜、あるいは曇天の正午、町のどこかに開き、怪異を呼び寄せる。
開けば町の時間が削られ、人の命が喰われる。
「なぜ俺に?」
「お前は見える。鎖を扱える。それだけで十分だ」
仁は鎖を持ち上げ、由紀の腕に掛ける。途端、鎖は蛇のようにうねり、肌に吸い付いた。
冷たい金属の感触と共に、何十、何百という声が頭に流れ込む。
悲鳴、祈り、怒号、そして──鐘の音。
「今のは……?」
「鎖が閉じた門の記憶だ。いいか、由紀。鎖はお前の命も縫う。代償は必ず払うことになる」
その言葉の意味を理解する前に、町のどこかで鐘が鳴った。
音は重く、長く、空気を震わせる。
仁は短く告げた。
「……来たな」
店を飛び出し、音の方へ走る。
夜の路地は湿り気を帯び、靴の裏に水がにじむ。
曲がり角を抜けた瞬間、由紀の目にそれは映った。
空中に、歪んだ輪が浮かんでいた。
内側は墨を流したように真っ黒で、その周囲には赤い紋──籠の字に似た形が光っている。
紋は脈打ち、輪は呼吸するように広がったり縮んだりしていた。
「由紀、鎖を!」
仁の声に押され、由紀は鎖を構えた。
輪の縁へ向けて鎖を投げる。
鎖は赤い刻印を放ち、輪に絡みついた。
その瞬間、冷気が全身を突き抜ける。
闇の中から、何かが腕を伸ばしてきた。
節くれだった骨の手、爪は刃のように尖っている。
それが石畳を掴むと、音もなくひび割れが走った。
「引け!」
由紀は歯を食いしばり、鎖を全力で引いた。
輪が縮まり、骨の手が軋む。
だが、闇の中からもう一つ、獣のような頭が現れた。
割れた鹿の頭蓋に、黒い舌がぶら下がっている。
鎖はその首にも巻き付き、赤く光った。
鹿の怪異は、舌を鎖に絡め取って抵抗する。
由紀はさらに力を込め、鎖を引き絞った。
光が爆ぜ、輪と怪異は同時に消えた。
石畳に倒れ込み、荒い息をつく由紀。
その耳元で、仁が低く告げた。
「……二日分、お前の時間を削った」