勇者を殺したのは私だけど文句ありますか?
「この罪人が! 貴様は勇者を殺したのだぞ!」
王城の玉座の間に響いた怒声。断罪の場に立たされているのは、若く、美しい貴族令嬢――イレーナ・ノクス。王国屈指の名門ノクス家の嫡子であり、かつて“勇者レイド”と共に旅をした仲間の一人でもある。
だが今や、彼女は「勇者殺し」の汚名を着せられ、裁かれようとしている。
「イレーナ・ノクス。貴女は勇者レイド=アルストリアを暗殺し、この国を破滅へと導いた。……何か言い残すことはあるか?」
王の隣に控える宰相の声は冷たく響いた。しかし、イレーナはその言葉に怯まず、凛として立ち、静かに微笑んだ。
「そうね。一つだけ……誇りを持って言わせていただくわ。私は確かに勇者を殺しました。ですが、それが何か?」
玉座の間が騒然とする。貴族たちの怒号、騎士たちの剣が抜かれる音。だが彼女はその場で、懐から取り出した一本の剣を掲げた。それは、勇者がかつて持っていたはずの神剣と、紅く輝く魔剣――両方を融合させた、禁呪の双剣だった。
「勇者の剣を返して差し上げるわ。不要だったでしょう? 結局あの男は、民のために剣を振るったことなど一度もなかったもの」
誰もが驚いた。勇者レイドは、世界を救う英雄として讃えられてきた。だがその実態は――
――裏で魔族と通じ、戦争を長引かせ、名声を得るために民を犠牲にした偽善者だった。
イレーナは唯一、それを知っていた。旅の最中、彼が村を見殺しにしたあの日。共に戦った仲間の死を「演出」と称し、魔族に情報を売り渡していた現場を、彼女はこの目で見た。
彼女は何度も訴えた。だが、誰も信じなかった。貴族たちはレイドに媚び、王太子セシルまでもが、彼女の婚約を一方的に破棄し、代わりにレイドを中心にした政略を進めていった。
「あなたは嫉妬しているだけだ。レイドの栄光が妬ましいのだろう?」
「知性はあるが、女だというだけで限界があるのだ」
「女が英雄になれるとでも?」
そんな声を、彼女は何度も浴びた。だが、耐えた。誇りある令嬢として。ノクス家の名に懸けて。
最終的に、彼女は自らの手でレイドを討った。毒や裏切りではない。正面からの決闘だった。
勇者はただの人間だった。己が無敵だと思い上がった小物にすぎない。だからこそ、敗れた。魔剣と神剣を統合した彼女の一撃の前に。
その直後から、彼女へのバッシングは始まった。婚約破棄、財産凍結、爵位の剥奪、社交界からの永久追放。王都中の者が、掌を返した。
だがそれでも、彼女は黙っていた。
それは、もう一つの「計画」があったからだ。
――レイド亡き後、魔族との密約が露見するまで、待てばいい。自らの潔白を証明する日が来ることを。
そして、その時は来た。
レイドの死から一年後、魔族軍が王都を包囲した。彼が締結した密約が破られ、逆に魔族はそれを盾に「王都を明け渡せ」と通告してきたのだ。
王太子は震え上がり、宰相は逃亡。貴族たちは自宅に籠城するばかり。王国は完全に麻痺していた。
そこに現れたのが、イレーナだった。
「貴方たちは私を罰したわね。では今度は、私が罰する番よ」
彼女は双剣を構え、わずか百の兵を率いて王都正門に立った。魔族軍二万を相手に、わずか三日で撃退した。
その圧倒的な勝利の裏には、イレーナが密かに育てていた私兵団と、かつて捨てられた村人たちの支援があった。
民が、彼女の側についたのだ。
勝利の翌日、彼女は王宮を訪れ、玉座の間でこう宣言した。
「王太子セシルには統治の器がないと神託が下りました。ゆえに彼には、全国行脚し民に謝罪する旅を命じます。猶予はありません」
王太子は膝をつき、嗚咽した。金の装束を脱がされ、農民の服に着替えさせられ、街を歩くたびに「裏切り者」と罵られた。
貴族たちは財産を没収され、その邸宅は孤児院や病院に作り替えられた。
リュシアという令嬢――かつてレイドに擦り寄った女は、社交界から排除され、辺境の農村に嫁がされた。毎日土を掘り、野菜を洗い、憔悴しきった姿が目撃された。
魔導院の長グランズは、イレーナが暴いた研究不正により追放。かつて彼が彼女の魔術を「邪道」と嘲笑った言葉は、今では研究者たちに失笑される語録として語り継がれている。
王自身も神託により「国を誤った」とされ、退位。新王は選ばれず、摂政としてイレーナが政務を担うこととなった。
誰もが彼女にひれ伏し、祈るような目で見上げるようになった。
だが、イレーナは言った。
「私は“女王”になりたいわけじゃない。ただ、民が苦しまぬ国を築きたいだけ」
それが、彼女の答えだった。
数年後、王都を離れたイレーナは、湖畔の村でひっそりと暮らしていた。小さな剣の碑を前に、静かに語る。
『ここに、勇者レイド=アルストリアの剣を眠らせる』
勇者と呼ばれた男の行いも、彼なりの正義だったのかもしれない。だが、それは誰かを踏みにじる正義だった。
「さようなら、レイド。私の剣は……まだ終わっていない」
そう言って、彼女は静かに歩き出した。
“女王”ではなく、誇り高き“ひとりの令嬢”として。