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起 これが日常

 春爛漫という言葉にそぐわないほど夜は薄寒い。

 寿璃恵(じゅりえ)は真っ暗な四畳一間のボロアパートでかなりすり減った毛布を頭からかぶった状態で冷たく硬い米飯を貪っていた。

 給料日目前はいつもこんな感じだ。

 それでも先月の身も凍えそうな寒さではなく、毛布がないと震える程度におさまっているのだから季節は春に進んでいるのだろう。

 電気を消したままなのも、朝炊いたご飯を温め直さずそのまま食べているのも電気代の節約のためである。先月は寒さに耐えきれず何度かこたつの電源をつけてしまった。その分の電気代を少しでも取り戻したい。


 いつまでこんな風に生きているのだろうか。

 小さいおにぎりを何度も咀嚼しながらふと思いついたのはそんなことだった。本当は握り飯を何度も反芻して胃袋に入れ直したいぐらいの空腹ではあったが、残念ながら寿璃恵はヒトである。食道から胃袋に落としてしまえば遡らせることは容易ではない。

 そもそもヒトとして生きていることすら許されていないのかもしれないが。

 爪に火を灯すようなギリギリの生活で、家族も友人もなく一人。当然恋人などいるはずもない。

 こんな醜い様相の女と誰が一緒にいたいと言うのだろう。

 小学校から高校まで、寿璃恵のあだ名は一貫して『餓鬼』だ。寿璃恵に触ると生気を吸い取られると周囲からはまるで汚物のように扱われてきた。


 そのように扱われていれば自分が汚い妖怪だと思い込むのは当然で、寿璃恵は今でもなるべく俯いて顔を隠して生きている。

 自分が触れれば不快な思いをさせるのだと思うから人と触れ合うことも避け続け三十路を迎えてしまった。

 高校を卒業と同時に親から家を追い出され十数年、何とか借りることができたこの築50年近いアパートでずっと一人で生きてきた。それこそ妖怪のように。


 当然ながらまともな就職などできず、ずっと近所のスーパーで品出しメインのパートをしている。いつでもシフトに入る寿璃恵は不気味がられてはいるものの戦力の一人として扱って貰えている。

 時給は最低賃金を下回っていることを知っていたが、働かせてもらえるだけでありがたいので何も言えない。

 毎日働いているのに、税金と生活費を支払えば手元にはなにも残らない。

 楽しみなど何もない。これで生きているといえるのだろうか。


「にゃっにゃーん!」


 がつっと何かが窓にぶつかったような鈍い音とともに、突然暗い部屋の中に何かが飛び込んできた。ついでに砂利が畳にぶちまけられたような音が響く。

 同時に冷たい風が室内に吹き込んで寿璃恵の頬に触れる。

 夜の気配を感じる風に、寿璃恵はどうでもいい心地でゆっくりと顔をあげた。


「……え?」

「おっめでとうにゃん! ジュリエは選ばれたんだにゃん!」


 室内は暗い。何かが窓の近くでそう言っているが、そんなことはどうでもよかった。

 何かの後ろ、窓のあった場所に外の電灯がこうこうと灯っているのがはっきり見える。まるで窓ガラスがないかのように。――というか、ない。窓ガラスがなくなっていた。

 

「……ガラス……ない、もしかして、さっき……割れた……?」

「ジュリエ、どうしたにゃん?」

「入ってくるなら窓を開けて入ってこいや!」


 暗闇の中うごめきながら尋ねて来る何かを寿璃恵は思いきり蹴とばした。





「……修理費、どうしよう、払えない……。給料先借り……でも……そんなこと言えない……」


 完全に毛布の中で身を縮め寿璃恵は震えていた。

 お金なんてないのに、窓ガラスをどうやって弁償しろというのだ。


「ねえねえ、聞いてくれにゃん?」

「……どうしようどうしようどうしよう」


 一瞬このまま夜逃げしてしまおうかと思ったが、ここを出てしまったら定職も保証人もない寿璃恵が借りられる住まいなんて絶対にないだろう。


「どうしようどうしようどうしよう」

「ジュリエ! 話を聞いてほしいにゃん?」


 毛布の上に何かが乗ったような重みがかかる。

 重量から言って子どものそれより小さい何か。その小さいモノがさっきからひたすらしゃべり続けているということにようやく思い当たり寿璃恵は毛布ごと何かを振り払った。

 そういえば先ほど焦りまくって何かを蹴とばしてしまったような気がする。

 あれだけ思いきり蹴とばされて何ともなさそうなのは、そして人の言葉をしゃべるなんてもしかして妖怪じゃないだろうか。


「わ、わた、私は、妖怪、じゃないんです! なか、仲間じゃないから、別を、あたってください……」

「うにゃは妖怪じゃないにゃん。妖精なんだにゃん」


 普段から電気を消して暮らしている寿璃恵は、暗い中でも見えるように進化しかけていた。

 絡まった毛布の中から飛び出してきたそれは、猫のような形をしているのがわかる。

 

「……うにゃ? 妖精?」


 しゃべる猫なんてどう見ても妖怪である。でも、妖怪みたいな見た目の寿璃恵がヒトなんだからこれも妖怪ではないのかもしれない。


「そうにゃん。うにゃは選ばれし者ジュリエにお願いがあって妖精の国からやってきたんだにゃん」

「……妖精の国?」


 どうしよう、わけがわからない。

 多分、夢だ。寿璃恵はそのまま横になった。目が覚めたらきっと窓ガラスも元通りになっていると思いたい。


「夢じゃないにゃん。ジュリエはこの人間界を救う魔法喪女として選ばれたにゃん!」

「……魔法、喪女……?」

「さあ、ジュリエ、さっそく変身にゃ!」


 子どもの頃は、まだ両親に可愛がられていた幼少期は、ニチアサのあのかわいい戦う女の子たちに憧れていたこともある。

 でも、そんなのは夢物語だ。寿璃恵は妖怪もどきだ。そんな可愛くてカッコ良い存在になれるわけもないし、だいたいもう変身できる年齢でもない。

 だが先ほど思いきり蹴とばしてしまったこともあって強く否定もできない。


「田中さん! 田中さん! 何があったの、田中さん!」


 部屋のドアを激しく叩かれる音に寿璃恵ははっと我に変えった。

 この声は角部屋に住むこの建物の大家さんだ。


「……あ、はい……」


 猫みたいな妖精よりもあの人の方が怖い。

 寿璃恵は何かにとりつかれたかのようにふらふらと玄関へと向かった。

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