(最終話)⑤2/1深夜、パニックに。2/2~3、サクラサク。
☆子、最初の国語の試験で名前も受験番号も書くのを忘れたそうです。試験が終わった直後に気づき(あと五分早く気づこうね)、試験官に相談したのですが「後から名前を書くことは許可できません」と言われたそう。
ここでビックリする事に。うちの☆子の楽観的なところと言うか、アホなところが発動します。
「名前を書かなくても部分点は貰えるでしょう。うん。半分は点が取れるはず」
と考えたそうなのです。だから「半分は取れている」発言だった模様。
……んなわけねーだろ!!! 中学受験の経験の無い私でもわかります。
まあ、本人も本当の事を言ったら怒られるだろうから、半分点が取れれば受かるんだし黙っていようという魂胆もあったそうです(だいぶ後になって聞きました)。
しかし夜の発表が近づくにつれ、その考えは間違いではないか?……と自分でも気づいたらしく、遂に耐えられなくなって布団で泣きながら告白したという経緯でした。
大泣きする彼女をなだめながら「とりあえず今日は寝なさい! A女学園の発表はママが見ておくから!」と寝かしつけます。
かなり興奮はしていましたが、ホットミルクなどで何とか寝てくれ、私はひとりぼっちの寒いリビングでスマホを再び握りしめます。
22時30分、結果を見ました。覚悟してはいましたが、表示されたのは
「不合格」
やっぱりなという気持ちと、落ち込む気持ちで目の前が暗くなりました。まだ仕事から帰ってこない夫に、不合格だった事をLINEで伝え、ひとり考えます。そして決めました。
「うん。受験料勿体ないけどB中学は捨てよう」
③で前述の通り、複数回受験をする場合はまとめて申し込むと受験料の割引があります。
私は2/1と2/2のB中学の受験料をすでに支払っていました。しかし現状ボロボロのメンタルとなった☆子が2/1不合格だったB中学をもう一度受験しても、良い結果になるとはとても思えません。
更なる不合格が重なる事で、彼女はもっとメンタルをすり減らすはず。2/3もう一度受けるA女学園の試験も落ちる可能性が見えてきました。
ここで私が受験漫画で身に着けた知識が役に立つ時が来たのです。
・その日の結果によっては、次の日の受験する学校を切り替える生徒もいる
・学校によっては、当日の朝8時まで受験の申し込みを受け付けている。
A女学園も当日の朝まで申し込みが可能でした。2/2も午前中は試験があったのですが、B中学と被るため申し込みをしていなかったのです。
私はB中学の試験を受けない事にし、急いで深夜のコンビニに走りました。受験料を振り込むためです。
一応その後、他に受験できる適当な学校が無いか深夜2時頃まで調べましたが、そんな学校があれば学校説明会に行っていた次期に目についていた筈なんですよね。結局偏差値や通学距離などを検討するとA女学園以外には選択肢はありませんでした。
翌朝。「やっぱり落ちてたよね……」と、しょんぼりと起きた☆子。私はプリントアウトした受験票を彼女に見せます。
「今日はA女学園の試験を受けに行くよ!」
「えっ!?」
「昨日のリベンジ、しておいで!」
「うん!!」
娘の顔が晴れやかになります。
こうして、私達はA女学園に向かいました。そして今回は名前の書き忘れも、忘れ物もしませんでした。
余談ですが。
午前の試験が終わった後、塾に直接向かいました。結果報告のためです。
コアラ先生に2/1はどちらも落ちたと言ったところ蒼白な顔で「えっ……」と声を出し、その後さめざめと泣き始めました。
多分、私や夫よりショックを受けていたと思います。それくらい自信があったんでしょうね。
「す、すみません……僕の指導不足で……」
完全にお通夜みたいな雰囲気だったので、私が慌てて止めました。
「まだ! 今日リベンジでA女学園を受けましたし、明日もあるので!!」
「あっ、そうですよね。すみません……」
その日の夜、結果は「合格」。まだ塾がぎりぎり開いている時間だったので、電話でコアラ先生に報告しました。とても喜んでもらえました。
翌日。せっかく申し込み済みなので、どうせなら特待生も狙ってみようと2/3のA女学園の試験も受けに行きました。勿論今回も忘れ物はなし。
試験が終わった☆子の顔は、今までで一番自信に満ちていました。
「結構いい所まで行ったと思う」
私はまたお調子者が出たな、と思いました。けれども私の予想は間違いだったのです。
その夜、結果を娘と見て、二人で叫び、抱き合いました。
結果は「特待生合格」。学費の一部が免除となります。夫も大満足の結果になりました。
一つの学校を複数回受験する子はよくいますが、同じ学校で「不合格」「合格」「特待生合格」の3つをすべて味わった子というのはそういないんじゃないでしょうか。
まあ、それを言ったらそもそも「試験で名前を忘れる」子も滅多にいないと思いますが。
そんなわけで、今では笑い話となった大失敗でした。