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ネコと少女と男の遭遇

「それで、そろそろ説明をお願いしたいんだが」————何回目だこのやり取り。


 ぐずる男児を引っ張る母親のごとし、男を夜の学校にまで連行してきた小鳥遊は、再三にわたる催促に辟易し、ついにその固く閉ざされた口を開いた。


「さっきからうるせー、このタコッ、電車でもギャーギャー喚きやがって!」

「電車では大人しくしてたでしょうが!」

「んだと、アタシに口答えすんのかテメー」

「大体アンタらね、説明説明いっといて、ここまで何の説明もしてねえじゃねーか!」


 ヤンキーモードの小鳥遊といがみ合う男。そんな二人を尻目に、ただ唯一冷静だったネコは、薫風に乗ってくる匂いに意識を集中させた。


「おい、臭うでぇ」


 その声にハッとした小鳥遊は、掴んでいた男の胸倉をぱっと放し、闇の中に佇む校舎に臨んだ。理性の吹き飛んだ人間が潜んでいるかもしれない恐怖。しかし彼女にとって、こういう状況は慣れたものだった。いつもと同じ、日常であるはずだった。


「ヤな匂いにゃ」

「はっきり言えアホネコ」

「夕方の失律者みたいな、刺々しさが無いにゃ。まるで、腐った魚みたいにゃ」


 普段の、口を開けば暴言のような声色とは違い、喋る猫キャラにピッタリなしおらしさに、小鳥遊は一層、緊張感を憶えた。あたかも怯える子猫の様な、彼のそんな姿を、初めて目の当たりにしたこともあり。


「なあおい、夜の学校なんてやめなさいよ、不良じゃないんだし」


 しかし小鳥遊らが抱く緊張も、どこか間の抜けた男の言動に、僅かに緩む。それは束の間のリラックスであり、そして同時に、小鳥遊とネコは、連れてくるんじゃなかったと、自らの行いを悔やみ始めたのであった。


❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀


 月明りの差し込む静止した空間に、足音がこだまする。日中であれば賑やかさに満ちた廊下の筈は、しかし物音の一つも立てず、まるで空気が一つの塊となって立ちはだかっているような感覚が、彼女らの足取りを一層重くさせた。


「普段もこれくらい静かだったいいのになー、体育の山本先生にも見せてやりたいよ」


 ただ一人、男は緊張感の“き”の字も見せず、深夜の校内を物珍しそうに見物していた。そんな男の有様を見れば、小鳥遊の口は自然と舌打ちをする。真面目にやっている自分が馬鹿みたいだと。


「おっさん」

「なんだよ」

「少し黙ってろ」


 小鳥遊から差し向けられた冷やっこい視線に、空気が読めていなかったと、男は少しばかり反省の心を持つ。しかし務めて5年、見慣れた校舎に緊張感を持つことなど出来るはずもなく、小鳥遊らとの温度感の違いに戸惑いながらも、男はそれを口に出さないように努めた。


 そうして不良の如く夜中の校舎を徘徊していた2人と1匹は、秋山が叩き落されたことで、天井にぽっかりと穴が目立つ1階に到達した。立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされ、その厳重さたるや、さながら蜘蛛の巣を連想させるほどである。


「そういや、秋山はどうなったんだ?」


 小鳥遊の鉄拳によって床を突き破り、階を跨いで落された秋山、尋常であれば死んでいても不思議でなく、それについては男もその認識でいたが、答え合わせを行うように彼女らに問うたとき、返って来た言葉は…………。


「生きてるぜ」

「生きてんの!?」

「ま、死んだも同然だろうがな」

「重症ってことか?」


 鉄骨をぶち抜くほどの怪力で殴られたのでは、運が良くても頭蓋骨の陥没は免れないだろう、そう考えた男は、先頭を行く小鳥遊の背中に再びアンサーを求めるが、これについてはネコが答える。


「廃人って意味ニャ」

「壊れかけのラジオ的な?」

「不謹慎やけど、あっとるニャ。本性を剝き出しにして力を得る代わりに、致命傷などの損傷を負うと人格そのものが消え去るんにゃ。人間を人間たらしめる核がなくなりゃ、死んだも同然にゃ」


 氷の様に冷然と言ったわけではない。猫の言葉には、それまでの経験が乗っているかのような重みがあった。男はそれ感じ取り、そして共感に至る。言葉では言い表せない程の過去、それがどんなに恐ろしく、暗いものか、総てを察することは出来なくとも。


「言っとくが、俺は自分をコントロールできてるぜ」

「失律者になる奴ほど、そう言うんだにゃ」


 猫の言葉にむっとする男、例に漏れず汚い言葉を返すつもりが、ここで聞こえてきた一つの異音に、会話は中断せざるを得なくなった。


 まるで、身を食い尽くしたカニの脚から、さらに旨味を得ようと吸い出しているかのような行儀の悪い音。瑞々しく、そして不快で、しかしどこか聞き覚えのある、深夜の学校では聞こえてくるはずのないそれに、一行は足を止めた。


「ねえ、聞こえる?」

「聞こえるニャ」

「ああ、ちょっと卑猥な音がな」


 音が漏れ出ているのは、一番奥の教室からだった。2階に通じる階段の真正面に位置しているため、窓から差し込む月光が届かず、それはまるで深淵の様に、彼女らを待ち受けているかのようだった。


 足を前に出すにつれ、鮮明に聞こえてくる、ズルズル、ズルズルと、何かを啜る音。


 閉じられた教室の引き戸、その両サイドに張り付くようにして、小鳥遊と男は目を合わせた。そして小鳥遊から送られるアイコンタクト、それは、突入の合図である。


 小鳥遊はドアを蹴破り、拳銃を構えるように、両手でスマホのライトを照らし当てる。そして飛び込んできた光景、それは。


「ジュル、ジュジュジュ、ジュポ、ん…………?」


 小さいながらに優秀な光度をもつスマホのライト。その照射範囲のまさに只中に映し出された男の影。真っ青なジャージに、白いストライプが一本、肩から裾にかけて入っている。生徒が着用するジャージではない。


「アンタは…………ッ」


 しかし男には見覚えのあるジャージだった。なぜならそれは、彼にとっての一張羅。


「体育の山本先生!」

「はあ?」


 転校生のため、総ての教員を見知っているわけではない小鳥遊は、どこか肩の力が抜けたように言葉を洩らした。生徒の机に向かい、おそらくその生徒の持ち物であろう笛に、文字通りしゃぶりついていた教師の姿に。


「山本先生、アンタ、何やってんだ」


 男にとっての山本教諭とは、常に生徒を第一に考え、生徒のためであれば命をも張るような、熱血漢であった。そして男とは歳も近く、話も合うため、気の許せる友でもあったのだ。しかし目の当たりにした、自身の山本教諭像からあまりにも乖離した痴態に、これには男も愕然とした。


「それって、生徒のリコーダーだよな」

「ジュル…………チガウ、これはオーボエだジュポ」

「同じ笛だろうがッ、つーか見損なったぜ、熟女好きじゃあなかったのかよアンタ!」

「同じではないジュポッ、これはオーボエ、含有唾液量が違うジュポッ!」


 この状況下で何を話しているのか、皆目理解できなかった小鳥遊は、張り詰めていた気を緩ませつつあった。そして同時に沸き起こる感情、オーボエの持ち主である少女を裏切った、教師にあるまじき行いに、憤る。


「おいロリコン野郎、お前は絶対、許さねえ」

「ん、貴様、D組の小鳥遊だな、こんな夜更けに何をやっとるんだ」

「こっちのセリフだッ!」


 小鳥遊は内で沸き起こる怒りに任せて、駆け出した。だが油断、目の前の山本教諭が、すでに失律していることを、彼女は後になって知ることになる。


「まて小鳥遊、ソイツはロウレスにゃ!」


 猫の掛け声も虚しく、愚直な小鳥遊の邁進は、突如あらわれたロープによって拘束され、封じられてしまう。その見覚えのある縛り方には、男も思わず叫ぶ。


「亀甲縛り!」

「言うとる場合か!」


 複雑に絡めとられた小鳥遊は、エビ反りの体勢のまま、空中に吊るされてしまった。これで戦力はゼロとなり、戦闘要員ではない猫は、この状況に焦燥する。


「くそ」


吊るされた小鳥遊も、それが努力次第で解けるものではない事を身にしみて実感しており、額に汗を浮かべた。そしてこのままではネコや男にも危害が及ぶと思った彼女は、とっさに叫ぶ。


「おいオッサン、今すぐアホネコ連れて逃げろ!」

「はぁ!?」

「アタシなら大丈夫、こういう状況には慣れてるから!」

「どういう意味だソレ!」

「あーもう、いいから逃げろって!」


 ここまで緊張感ゼロでやって来た男だったが、しかし小鳥遊の必死の形相を見てようやく、自身の置かれた状況を理解した。故に掘り返される記憶、怪物と化した秋山に捕まり、死の一歩手前にまで近づいた恐怖を。


「クソ!」

「あ、おい!」


 何が何でも小鳥遊を救うことしか考えていなかったネコは、端から逃げる意思など持ち合わせてはいなかった。しかし唐突に持ち上がる体、勝手に移り変わる視界に、ネコの焦燥感はより激しいものとなった。


「おいテメエ、自分が何してんのか分かっとんのか!」


 自身を抱え、息を荒くして走る男に、ネコはそう叫んだ。しかし返事はない。男は冷静さを失ったのか、ただ前だけを見て、出口を目指し、ひたすらに走り続けていた。ネコは男の手に噛みついて逃れようと試みたが、その短い首では牙は届かず。


「離せ、離さんかいッ、小鳥遊を助けな!」


 爪をむき出しにして、それが自分自身に傷を付けることなど顧みず、捕食者の拘束から逃れようとする被食者のごとし、手足をばたつかせた。肉を抉る感触はあったが、それでも、男の緊縛から逃れることは敵わなかった。


「彼女を、死なせるわけにはいかん、約束した、頼む、行かせてくれ」


 暴れることを止めたネコは、すがるように、そう呟いた。すると男も。


「お前こそ、死んだら、小鳥遊が悲しむだろ」


 小鳥遊とネコとの間に、計り知れない絆があることは、男も理解していた。だからこそ信じたのである、彼女の言葉を。だからこそ男は、ダサくとも逃げるという選択を採った。再び彼女と相対したとき、合わせる顔を持ち合わせていられるように。


「お前…………」


 猫が何かを言いかけた時、突然、彼の自由を奪っていた腕の力が緩くなった。そして肉球を通して伝わる地面の感触と、月光、あらゆる匂いが雑多に混じった外の空気。ネコはとっさに男の方へ顔を向けたが、その目に映ったのは、再び校舎へ身を投じる背中だった。


「足手まといだから、そこで毛繕いでもしてな」

「おい!」

「心配すんな、小鳥遊は守る、うちの生徒だからな」


闇に消え入る背中は、まさしく教師、そして、絶滅したと思われていた、大人の背中だった。


 その頃、小鳥遊はといえば、依然として緩まないロープの拘束に難儀していた。男とネコが教室から脱して数分、ただひたすら、体育教師の山本の、独り言ともいえる言葉を聞き流しながら。


「この窮屈な社会で、ジュル、自分を殺して生きてきたジュポ。でも、今日の放課後、隣のD組の秋山を見て、思ったジュポ。もっと、自分に正直になると」

「笑わせんな、そもそも社会に出たことねーだろ」


 戯言ではあるが、会話らしくすることによって時間を稼げると踏んだ小鳥遊は、適当な言葉を返しつつも、先ずは両手の自由を取り戻すために、痛みなど気に留めず、堅固に結ばれた紐の輪から手を抜こうと躍起になっていた。対する体育教師の山本は、引き続きオーボエをしゃぶりながら言葉を続ける。


「小さい頃から、弱いものを支配する快感が好きだったジュポ。ある日、蝶々の羽を毟ったとき、俺は教師を目指すことに決めたジュポ。お前らの羽を毟った時、どれだけの快感をもたらしてくれるのか知りたくて。本当は、小学校の教師になりたかったジュポよ」


 体育教師の山本、32歳。

 彼は幼少のころから、虫を痛めつけることに熱を入れていた。足を捥いだり、先述の通り羽を千切ったりするなど。そうして自由を奪い、世話をすることによって、何よりも得難い快楽を見出していた。


 山本が高校に上がったころ、その対象が近所の小学生に変わった。表向きは年上の良きお兄ちゃんとして。しかし裏では、日常的に暴力をふるっていた、ルールを破った罰と言って。


ルールその1:ほかの子とは一切、口を利かない事。

ルールその2:学校が終ったら、その日1日の行動を、家まで報告しに来ること。

ルールその3:授業中、ノートはとらず、出された宿題は決して行わないこと。

その証明として、学期末に出される通知表を必ず見せること。


 他にも挙げたらキリが無いが、山本が高校を卒業するまでの3年間、その子供は、通称、山本憲法を徹底させられ、通知表は“がんばりましょう”の項目に丸印が並んだ。小学校では同級生や先生からも無視をされ、親からは厳しく叱責される日々。そうしてその男児は、小学4年生にして、不登校となった。

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