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ネコと少女と男の晩餐②

「お寿司、来たみたいですね。あたし行ってきます」


 そうして少女が立ち上がり、ぱたぱたと玄関へ向かって行った。それを確認した男は、恥ずかしさのあまり、机に突っ伏して頭を抱えた。


「お前、アホなのかにゃ?」

「だって分かりづらいんだもの」


 涙ぐんだ声で男は答えた。するとネコは大きなため息を吐くと、玄関の方へ行った少女がまだ戻ってこないことを確認し、こう話を始める。


「お前、えっちな店にはいったことあるかにゃ?」

「ないよそんなの」

「つまらん男じゃの、まあええわ。人間には性癖があるだろ、つまり本性は、それと同じにゃ。普段は隠しとるが、ここぞとばかりに表に出てきて、検索欄に文字を打ち込ませるじゃろ。熟女やったり、ロリやったり、倫理的に間違とるって分かっとっても、下半身がそうさせるんや」

「熟女は間違ってないだろ」

「お前は黙って聞け!」


 ようやく面を上げたかと思ったら、茶々を入れてくる男にイラつき、猫は思い切った猫パンチを男に食らわせ、再び話に戻った。


「つまりやな、本来はひと様に隠しとるが、本番で気分が高まってエグい性癖をさらけ出すのと一緒にゃ。本性も、怒りや悲しみがトリガーになって、出て来るっちゅーことだにゃ」

「つまり秋山は、理由は分からないけど、何かが原因になって、本性が表に出てきたってこと?」

「ああ」

「ゴリラみたいになったのは、根がゴリラなんじゃなくって、本性が具現化したようなものってことか?」

「惜しい、本性の発露ってのは膨大なエネルギーを生み出し、体の構造をも変えちまうのにゃ。思うにあの生徒の本性は虚栄心の塊で、自分を大きく見せたがる傾向にあった。だからお前に対してはデカくなったが、奴を恐れんかった小鳥遊の前ではちっさくなったんだにゃ」


 少女の丁寧な説明と、猫の例えを交えた話を聞いて、男はかろうじて理解に至った。だが絵の具を洗ったバケツの水のように、男の脳内は混沌としていたため、これまでの情報を整理するべく、指を3本立ててこう言った。


「三行にまとめるとこういう感じか?」


 イ:人間には本人でさえも認識しづらい本性が内に秘められている。

 ロ:感情の昂りによって本性が露わになることがある。

 ハ:本性の発現は膨大なエネルギーを生み出し、体の構造をも変えてしまう。


「その通りだにゃ。そしてその力をコントロールできない人間を、失律者と呼んでいるニャ」


 男の解について満足そうに頷いたネコは、自分の仕事はこれで終わりだと言わんばかりに、大きな欠伸と共に、机上にて丸くなった。だがしかし、男の疑問はこれで総て解消されたわけではない。


「ところで、あの小鳥遊っていう転校生は、なんで秋山をワンパンできたんだ?」

「それについては、あたしから説明します」


 ここで少女が、寿司の入ったプラスチックの容器を両手いっぱいに抱えて、玄関から戻って来た。次に彼女は積み重なった容器を机に置き、それを包んでいたビニール袋の結び目を丁寧にほどきながら説明を始める。


「あたしは、自分の本性を自覚し、それを制御することが出来るんです」

「アンタらの言う、失律者じゃあないってことか?」

「ええ、本来の人格を自由に引き出すことが出来るので、その膨大なエネルギーを使って、先の戦いにも臨んでいました」

「理解はできるけど、でもどうやって」

「ご覧に入れて差し上げます」


 そう言って少女はおもむろに、ワイシャツのボタンを一番上から外してゆく。


「お、おいっ」


 と、男は分かりやすくたじろぐが、それでも少女は意に介さず、続けて第三ボタンまでをも外してしまった。そうして露わになったのは、空色の下着。男は顔を両手で覆うも、その一部始終は指の隙間から覗いていた。


 はじめこそは徐々に明らかになる色白に目が移ろいでいたが、しかし、胸の中心部に認められた鍵穴のような傷が現れた後は、視線もそこから外れることは無かった。


「その傷は?」

「これは、人格を封じ込めている、いわば牢です。そして…………」


 少女はスカートのポケットをまさぐると、そこからある物を取り出して男に見せる。


「これが、己の本性を解放するための鍵です」


 彼女の手に握られる、シャープペンシルほどの長さはある先の尖った一本の鍵。さながら西洋ファンタジーの作品に登場するような、非常に簡素な造りであり、真鍮で作られたそれは、ところどころメッキが剥がれかかっているのが認められる。


「いいですか、よく見ててくださいね」


 少女は親指と人差し指でつまんでいたカギを、今度は剣のように握りこむと、唐突に、それを自身の胸に突き立てた。肋骨が砕かれる鈍い音、彼女の表情は僅かにだが苦痛に歪むも、胸の傷跡に差し込んだカギを、そのまま右に捻った。


「おい、大丈夫なのかよ」

「ダイジョブ、ダイジョブ」


 少女が用意してくれた寿司を口に頬張り、小皿に注がれた醤油をひとくち舐めながら(彼は特別な訓練を受けている)、ネコはさも当然かのように言い放った。しかし、挿入したカギを両手で包みこみ、まるで祈りを捧げる修道女のようにうずくまる彼女の姿に、男は動揺を隠せずにいた。だが刹那。


「あーっ、痛ってー」


 先ほどまでの柔らかな口調とは打って変わって、どこか刺々しい言葉遣いに変わった少女が、肩こりをほぐすように首を傾げながら、すっくと立ちあがってみせたのだ。


「おい、ちゃんと見てたかよオッサン」

「ええええええええええ」


 あの小動物の様な柔らかさはどこへやら、少女はかけていたフレームの細い丸眼鏡をはずすと、見下すように目線だけを男へやって、冷たく言い放った。人が変わったような少女の変貌ぶりに、男の開いた口は塞がることを知らなかった。


「あれが小鳥遊の本質にゃ」

「お、恐ろしい子」

「そして、内なるヤンキー小鳥遊が出てきたことによって、彼女の戦闘力は…………」

「待て待て、まだ説明のターンは早いって、ていうかドラゴンボールみたいなノリで言うな」


 またしても始まる男と猫の漫才に、小鳥遊は小さく舌打ちをして、勢いよく椅子に腰かけた。そして足を机に乗せ、椅子の前足を浮かせるようにすると、「おい」と男をアゴだけで呼んだ。


「な、何か?」

「寿司」

「お寿司が、何でしょうか……」

「食べさせろ」


 まさに暴君、その無茶な注文には、さすがの男も黙っていられず。


「お、おいクソガキ、ナマ言ってんじゃねえぞ、大人を舐めるのも大概に————」

「返事はハイだろうが、このミジンコ!!!」

「ハイーッ、仰せのままに!」


 そうして男は、「マグロ」と言われたらマグロを、「ウニ」と言われたらウニをと、そんな調子で、小鳥遊が注文するネタを箸でつかんでは、おずおずと彼女の口へと運ぶ作業を強いられた。斯くしてある程度それをこなすと、小鳥遊は満足したのか「ご苦労、戻っていいぞ」と、男に促した。


「こうなったらワシでも手が付けられんにゃ」

「なんなんだよアレ、聞いてねえよ」


 席に戻った男は、小鳥遊から差し向けられる、ゴミを見るような視線を避けるように顔を伏せ、小声でネコにそう呟いた。


「ところでオッサン」

「はい、なんでしょうかっ」

「お前、オーバーフローしかけただろ、学校で」


 聞き覚えのある単語ではあったが、それについては毛ほどの説明もされておらず、しかし聞こうにも彼女が恐くて聞けない状況であったため、男が言葉を詰まらせていると、それを見かねたネコがそっと男に囁いた。


「イロハのロだにゃ」

「あー」


 感情が昂り、本性が現れ出ることを指しているのだと、男はそのとき理解した。だがしかし、例に漏れず男もみずからの本性を自覚していないため、いくら記憶を巻き戻そうとも、心当たりなど一切なかったのである。


「たしかに死ぬ思いはしたけど、これと言った気付きはない、かな」

「あんな目に遭っといて?」

「あーでも、忘れたい記憶を思い出したのはあったかも」


 その言葉に、小鳥遊とネコは目を見合わせる。


「その記憶って?」

「えー、勘弁してくれよ、話すのも辛いレベルなんだわ」


 長く垂れさがるサイドバングを、コイルの様にくるくると指に巻き付けながら話を聞いていた小鳥遊は、男の返答には大きなため息を吐いた。それも分かりやすく。それに対し男は決まりが悪い顔をしてみせるが、断固として話さないという意思も合わせて示した。そのような顔されては、小鳥遊も聞くに聞けない訳で。


「ま、そんなんでオーバーフローされても困るしな」


 そう言って、開けた胸元に構うことなく、両手を後頭部に添えて、小鳥遊は天井を仰ぎ見た。


「それで、俺がオーバーフローってのを起こすと思ってたのか? アンタらは」

「ああ。そこのアホネコは特別仕立てでな、人間の本性を感じ取ることが出来るんだ」

「つっても、本性が発現したときに限るけどにゃ」

「っぷぷ、お前アホネコって言われてんだ」

「黙れにゃ」


 小鳥遊の暴言に特に噛みつきもせず、当たり前の様に話を進めるネコに、男は思わず噴き出してそう言った。男に対してはネコも牙を剥いたが、そんな彼らに構わず、小鳥遊は話を続けて行く。


「アホネコが言うには、あの時、漏れ出た本性の匂いは確かに2つあったが、一つは数秒程度で消えちまったらしい」

「秋山に殺された生徒のものじゃ?」

「いや、それは無いにゃ。あの感じやと、一瞬やったんやろ?」

「おう」

「ほなちゃうナ」

「アタシが思うに、もう一つの正体はオッサン、アンタのもんだ」


 その言葉の後、僅かな沈黙が室内を満たしたが、それを最初に破ったのは男のほうであった。彼は、あり得ないだろ、とでも言いたげな表情で、自らを弁護するように口を開く。


「いやいや、俺は違うだろ。現にアンタらと楽しく寿司パーティやってるわけだし、そもそも失律者ってのは自分でも制御の効かなくなった人間の事をいうんだろ? なら明らかじゃねーか」


 それもそうだと、小鳥遊は再び長嘆息をもらす。ひとまず男の言うことが正しいと仮定した彼女は、思考を再び巡らせる。そしてものの数秒で、ある一つの結論に辿り着かせた。


「したらば、あの場所には他にも誰かがいたことになるな」

「だとしたら不味いにゃ」

「ああ」

「え、何が?」


 何もわからず、ネコと小鳥遊を交互に見やって男が問うと、なにやら真面目な顔つきで、小鳥遊が答える。


「アタシらは、失律者を捕り逃したことになる」

「それって不味いのか?」

「当たり前だろ、どこかでトラブルを起こしてるかもしれないし、自殺を図ってるかもしれない。考えたくはないが、既に人を殺してる可能性もあり得る」

「イマイチ分からんのだが、失律者は秋山みたいにその場で暴れまわるんじゃないのか?」

「いま説明してる暇はない。それは移動中に話す」

「移動中!?」


 男は驚愕した、確かに感じる空気感に。それは、明らかに今から危険なことを仕出かそうとしている連中に、自分も同行する流れが出来上がりつつあるからだ。それにはさすがに怖気づいて。


「今から学校へ行くぞ」

「馬鹿なこと言ってんじゃないよ、俺はもちろん帰宅するぜ!」

「馬鹿言ってんじゃねえオッサン、アンタが失律者である可能性は、まだ残ってんだぜ」

「だからそれはさっき説明したじゃんかよぉぉ!」


 そうして男の訴えも虚しく、彼は半ば無理やりな形で、小鳥遊に引っ張られて夜の学校へと向かうことになった。ちなみに彼は、特上の寿司を一貫たりとも口にすることは出来なかった。

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