ネコと少女と男の現場急行
「お前も来るのかよ」
「当たり前ニャ」
ネコを抱えた男が、タワーマンションの入り口付近で刑事組を待ち、そうして暫くした後、けたたましいサイレンの音がビルを蹴ってやってくるのが聞こえ、さらにその数秒後、凄まじい速度で迫りくる覆面パトカーがうかがえた。
かくしてパトカーがマンションの脇道に停まると、運転席側の窓が滑らかに降り、中から愛宕が顔を覗かせた。
「待たせたな————って、何でネコもいんだ!」
「すいやせん、コイツを家に残してくのが忍びなくって」
「遊びに行くんじゃねーんだぞ!」
「やっぱそうっすよねー、すぐ置いてきます!」
「分かった分かった、もういいから乗れ、ったく」
「恐縮でっす!」
パトカーのドア越しに始まった愛宕との漫談を終えると、彼はネコを抱えたまま、そそくさと後部座席に身を屈めた。そうして早速目に入るのは、助手席で寝息を立てる足柄の姿。時刻は23時過ぎ、警察が激務であることを認知していた男は、起こそうなどと野暮なことはしなかった。
「それで被害者は?」
愛宕が車を走らせて数分した後、男は彼にそう聞いた。愛宕は電子タバコをふかしながら答える。
「ガイシャは50代男性、激しい物音を聞きつけた近隣住民が発見したそうだ」
「もう、亡くなってるんだよな」
「発見された時には、既にな」
「その被害者も、SNSを使ってたのかな」
「さあな、それをこれから調べに行くんだ」
眠りかけていた建物たちを無理やり目覚めさせるかのように泣き叫ぶサイレン、警ら車はその音をもって一般車両を押しのけ、そうして出来上がった道に、テールランプの赤い光を縫うように残してゆく。
深夜ということもあり道行く車は少なく、赤信号であっても緊急走行を止めることは出来ないため、事件現場までは大して時間を要さなかった。
「ここだ」
そこは、煌びやかな港区のイメージを覆す、まるで時代に取り残されたような物淋しい住宅地であった。愛宕らの他にも、赤色灯を焚いた数台の緊急車両が確認でき、また古風な一軒家を囲うように張られたバリケードテープと、集まる野次馬の視線を防ぐためのブルーシートが、家の窓や玄関を覆っているのも認められる。
「起きろ足柄、仕事の時間だ」
足柄の肩を愛宕が肘でつつくと、彼は眉間にしわを作り、目をこすりながら辛うじて意識を覚醒させた。
「すんません、寝ちゃってました」
「おう」
「しっかりしてくれよ刑事さん、事件は現場で起きてるんだぜ」
「うるせえなあ————ってなんでネコがいんだ!」
まあそう思うよな。
当たり前の様な顔でネコを抱える男に目を丸くした足柄に、愛宕は同情し、そう嘆息を漏らした。4人目の被害者を出してしまった手前、緊張感を孕まない男に対しても。
しとしと降り続く雨が、現場を包む不気味な静けさに拍車をかけていた。警察車両の赤色灯が雨粒に反射し、路面を不規則に照らし出す。
「ご苦労様です、警部補」
刑事が車を降りると、雨を避ける間もなく若い警官が駆け寄ってきた。制服の肩には水滴が光り、長靴は既にぐっしょりと濡れている。そうして、彼は敬礼もほどほどに、事件の詳細を伝え始めた。
「被害者は、このゴミ屋敷の住人です。見たところ、他の事件と似た手口で殺害されていますね」
警官が指差した先には、雑然と積み上げられたゴミ袋の山。その光景は、不潔さ以上に異様な匂いを漂わせている。
「ひでーな、うちのカミさんが見たら卒倒するぞ」
「ははーん、俺、次の罪が何か、なんとなく分かっちゃいました」
「そりゃ見りゃわかるでしょうよ」
3人の男は愚痴をこぼすように言葉を交わしながら、警察官の案内の元、ゴミの山で作られたような家へと足を踏み入れる。
排水溝に溜まった生ごみを何年も放置したような悪臭は、少し息をするだけでもえずく程であり、これ以上ヒドくなることは無いだろうと彼らは思うも、けれど玄関を上がり奥へと進むにつれ、鼻の奥では死体の腐臭も混じってくる。
「…………ゴメン、吐いていい?」
「鑑識が終るまで我慢しろ」
「三鷹さん、こいつを使ってください」
マスク越しでも吐き気を誘う腐乱臭に男が呟くと、足柄はジャケットの内ポケットからリップクリームを取り出し、彼に差し出した。
「死体にキスでもすんのか?」
「鼻の下に塗るんだよボケ!」
「また古典的な」
ワイワイ喧しい彼らを他所に、愛宕は一人、懐中電灯の明かりをもって、部屋中を舐めるように見回した。すると目に入ってくるのは、限界まで膨らんだゴミ袋ひとつひとつに描かれたアルファベット。
「エス……エル……オー」
「一見バラバラですが、これらのアルファベットで作れる単語は少なく、やはり妥当なのは、SLOTH(怠惰)かと」
ゴミが敷き詰められて6畳間、せせこましい空間に警官の声が響き、愛宕らは息を呑んだ。
「四人目です、同じく七つの大罪に基づく犯行の一環と思われます」
「分かった、あとは俺たちが引き継ぐ、持ち場に戻ってくれ」
「はい」
警官の声には緊張が滲んでいた。犯人の意図が不気味なまでに明確であり、ゴミ袋に記された文字はただの装飾ではなく、犯人が被害者に突きつけた一つの断罪とも取れるために。
「やっぱり、奴の動機は…………。」
「いや、結論を急ぐな」
フィクションに忠実でありながら、しかし節操のないメッセージ。犠牲者たちに抱いた感情を表しているのか、もしくは裁きなのか。警察の捜査をかく乱するための目くらましとも捉えられ、刑事らは頭を悩ませた。
「痛っって!」
突如、鼓膜を突き破る様な悲鳴に肩がすくみ上る。刑事の二人が振り返れば、そこには腕に抱いたネコと格闘する男の姿。呆れた声で愛宕が問う。
「おい、何やってんだこんな時に」
「痛い痛いッ、俺に聞くな、コイツが急に暴れて————ってオイ!」
半袖のTシャツを着ていたため、剝き出しの腕に目立つのは引っかき傷。男は何とか耐えていたが、しかしついに堪えきれず、ビー玉を手放してしまった。そうしてネコは静かに着地すると、脇目もふらず外へと駆けだした。
「ちょ、待てよ!」
喧嘩した恋人のように出ていったネコを、男も必死の形相で追いかけ、外へと行ってしまった。けれど、もともと戦力外、規則に従って連れてきただけなので、刑事らは特に困ることは無かった。
「俺、追いましょうか?」
「いい、俺が行くよ、ったく」
困ることは無いと言っても、これ以上現場を荒らされても事であり、また足柄を行かせたら再び喧嘩をするのは目に見えていたため、愛宕は自ら追いかける意思を見せたのであった。
一方その頃、ネコの足跡を追ってきた男は、雨のなか、ふわふわだった毛並みをすっかり萎えさせ、野次馬たちの前で静かに佇むネコを発見、そうっと背後から迫り————。
「捕まえたぞアホネコ、今度という今度はフェルトにしてやっからな!」
と、捕縛に至るのだが、先ほどの暴挙が嘘だったかのように、ネコはやけに落ち着いており、そして男の腕に抱かれたまま、零すように声を発した。
「おるぞ」
「はあ、なんだって?」
「失律者が、おる」
立ち並ぶ雑木くらいにしか思っていなかった野次馬たち、しかしその中に獣が潜んでいることを知り、男の弛みきった緊張感が、再び張り詰められる。
————どいつだ。
雨の中、警戒線の外側に集まる様々な目線。興味本位で首を伸ばす者もいれば、厳しい表情で睨むような目つきの者、また怯えた様子で足早に立ち去る者など、それぞれの視線が異なる色を持ちながら、現場に釘付けになっている。雨音に混じるシャッター音や声が、緊張感をさらに際立たせていた。
「おい、誰か分かんねーのか」
「無理いうにゃ、この雨、この人数じゃあ、嗅ぎ分けれんて」
「でも確かに、いるんだな?」
「ああ、それは間違いないにゃ」
声のボリュームを落とし、野次馬ひとりひとりに目線を流しながら、男とネコは失律者を探し続けた。するとここで、もう一つの声。
「おい、風邪ひくぞ」
肩を叩かれ、男が振り返れば、そこには愛宕の姿。男を心配するように、また気怠そうに呟きながら、彼は自らの傘に男を入れた。だが男はその親切心には触れず、再び視線を戻して言う。
「…………パイセン」
「おい、俺がいつお前の先輩になったよ」
「いいから聞け、犯人が、あの中にいるんだよ」
「はあ?」
男の視線を辿っていけば、十重二十重に群がる野次馬の姿が愛宕の目にも映る。しかし凡そ三十人弱、その見慣れた光景の中にホシが潜んでいると言われても信憑性は低いわけで。
「アホなこと言ってないで、さっさと中に戻れ」
「待ってくれ、もう少しで見つかりそうなんだよ」
一体なにをしているのだと、愛宕は唖然とする。なぜなら、男が唐突にネコを掲げたかと思えば、見物人銘々の匂いをネコに嗅がせ始めたからである。これには開いた口も塞がらず。
「何をやっとるんだお前はァ!」
「痛ッて、殴るこたあねーだろうが!」
「なんでもいいからとにかく謝れ!」
傍目から見れば、線の内側にいる男は警察関係者にしか見えず、けれど男は何故かネコを抱えており、あろうことか一般人の眼前に突き出したため、事情を知らぬ者からすれば、ふざけていると捉えられかねないのだ。
故に愛宕は、警察のかくあれかしを保つためにも、男の頭をぐいっと押し下げ、市井の人々に謝罪を入れさせようとしたのだが。
「こいつにゃ!」
聞きなれぬ声、突如それが響くと同時に、男がネコを放り、人の群れの中にラガーマンの如く飛び込んだ。
「お、おい、イカれちまったのか!?」
「愛宕、アイツだッ、アイツが失律者なんだよッ!」
人ごみに阻まれ、思うように前へ進めない男は、ある人物を指さして声を振り立てた。その先に認められるのは、黄色い雨合羽を着込み、フードを深く被った怪しげな何某。そして合羽の人物は、失律者という言葉に、強い反応を示した。
「動くなッ」
状況を理解した愛宕は、とっさにホルスターから拳銃を抜くと、闇で満たされたフードの奥に狙いを澄ませた。それに連なり、付近の警官も同様に銃口を向ける。
尋常であれば銃口を向けられ冷静を保つことは難しい、それにも関わらず、合羽の人物は煽るように腋を広げ、余裕たる振る舞いを見せながら、後ろへと下がり始める。
「てめえッ、動くなっつってんだろッ」
雨足が激しさを増す中、雨滴越しに銃口を向ける警察官の怒号が、深夜の住宅地に響き渡った。その声には、抑えきれない焦燥が滲む。
一方で、合羽を纏った人物は、しとどに濡れるフードの下から、一切の感情を示さない口元を露わにさせる。恐れる素振りもなく、ただ冷たく、全てを見透かすような空虚。警官の声が強まるごとに、その沈黙が現場を締め付けていく。
————ここで、空気を裂くような鋭い爆音が響いた。
鼓膜を打ち抜くような衝撃音が周囲を揺るがす。それは瞬く間に広がり、近くの建物や壁に跳ね返って反響を繰り返す。強い火薬の匂いが漂い、耳元に残響がこびりつく。
異変を察知した野次馬が、黄色い雨合羽から距離を取ったことで、愛宕が発砲に踏み切ったのである。