第1話 入学式でバタンキュー
百人を超える視線が俺に集まる。だめだ。目の前がくらくらする。
新入生代表挨拶で指名された俺は大勢の生徒の前で吐き気を催した。
一言も発しない俺を体育館の脇に立つ教員や新入生の後ろ側に座る保護者が不思議そうに眺めている。
分かっていたけどやっぱり俺は人前に立つのが苦手だ。大勢の人間の未来が断片的に流れ込んでくる。なぜ俺が新入生代表を務めているかと言えば受験テストを頑張り過ぎたせいで主席になってしまったからだった。
家を出るときにこうなる事は視えていたが耐えられるだろうと思っていた。
どうやら俺は浅はかな選択をしてしまったらしい。
手元を震わせながら妹が用意した原稿に目を落とす。ネットから拾ってきた五行ほどの挨拶を口にすれば役目は終わる。しかし目の焦点が合わないので文字がぼやけて見えない。こんな事なら新入生挨拶なんて全力で断れば良かったと後悔しながら俺は大勢の目の前で倒れてしまった。
気が付くと知らない天井が目に飛び込んできた。匂いから察するに保健室だと分かる。
目を覚ました俺は瞳を閉じて大きくため息を付く。まさか入学初日に保健室に運ばれるとは最悪だ。同じ中学の奴らにからかわれるだろうと思えば憂鬱になる。
「彩芽君大丈夫? いきなり倒れてびっくりしたよー」
ベッドの隣に座っていた幼馴染の水無月弥生が顔を覗き込んできた。大きな瞳に涙を溜める弥生は俺を心配してくれていたようだ。心配かけたのは申し訳ないが大袈裟だ。本当に子供の時と同じで泣き虫な奴だ。弥生とは家が隣なので小学校からの付き合いだった。
弥生は童顔で可愛らしく優しくて感情豊かな性格を含めて男女問わずに人気がある。目つきが悪くて近寄りがたい雰囲気の俺とはまるで違っていた。
「俺の事はもういいから早く教室に戻れ」
「でも……心配だよ」
「今朝も言ったけど嫌われ者の俺とは関わらない方がいい」
「そんな……」
「変な噂をされたら弥生も困るだろ? だから迷惑だ」
もう俺達は中学生ではない。一緒に登校する必要も無いが弥生は俺の家で待ってくれていた。面倒見がいいのは感心だが俺としては困ってしまう。高校に入学する前から弥生と距離を取ろうと決めていた。
これは弥生の為だと思っている。嫌われ者と関われば弥生も嫌われる可能性があるからだ。弥生には迷惑を掛けたくない。
すると俯いた弥生が声を漏らす。
「あ……」
「あ?」
「あ……」
「何だよ? 俺は別に間違った事は――」
「彩芽君の馬鹿ぁぁぁあああああ!」
すると弥生が俺の頬を思い切りビンタする。全く予期してなかった俺は喋っている途中だったので舌を噛んでしまった。
「ひたがッ! ひたがッ! ひたがぁぁぁあああ!」
痛い! 何だこの仕打ちは! 俺が何をしたって言うのだ! ちょっと待って、もしかして舌を噛みちぎった? これ絶対に血が出てるよね! 血の味がするもんね!
涎を垂らして悶えている俺を残して弥生は走り去っていく。本当に弥生の行動は読めない。こんなに痛い想いをする未来なんて予想できなかった。
すると入れ違いで女性が保健室に訪れた。気が強そうな美人な女性は若い。まだ二十代半ばと言った所だ。おそらく教員だとは分かるが様子がおかしい。
女性は口に手を添えて痛みに耐えている俺を軽蔑しながら見下している。初対面なのに物凄く警戒されているのは勘違いではない。
「神楽。お前もしかしてあの子を襲ったんじゃないだろうな? あぁん!?」
えー。なぜ被害者の俺が悪者なのー?
「何だ? 思春期真っ盛りか? 返答次第では処分するから覚悟しておけ。私は学年主席でも差別はしないぞコラぁ?」
なぜ可哀そうな俺が尋問されているのか分からない。なぜ女性の敵みたいな睨まれ方をしているのか理解出来ない。これは返答次第では俺の学校生活に影響が出るかもしれない。俺は瞬時に一番良い選択肢の未来を探した。
素直に説明しても疑われる、嘘を付いても疑われる、逆ギレしても疑われる、無視したら犯人扱い。どうやらこの女性教師は元から俺を信じるつもりはない。だとすれば何を言っても同じだった。
諦めた俺は友達を怒らせてしまったと素直に説明した。
俺はどれだけ未来の断片が視えても結果が変わらない事が多いのだと改めて実感した。