完結記念SS⑤ 愛しのお姉さまへ
王太后が主催する舞踏会の日が迫ってきた。
シュゼットは専属の教師についてもらって、毎日必死にダンスの練習をしている。
ターンをするたびに顔を隠すベールが揺れて、白くかすんだ視界がさらに悪くなる。
平衡感覚がくずれて何度も倒れそうになったがベールは外せない。
(国王陛下と初めて踊るのですから、周りは注目するでしょう。失敗は許されません)
ジュディチェルリ家で使用人扱いを受けていたシュゼットは、普通の貴族令嬢のようにダンスを踊ったことがなかった。
舞踏会なんて、派手に着飾ったカルロッタが見目のいい紳士と軽やかに回るのを、物陰からひっそりと見ていた記憶しかない。
壁の花にもなれないひとりぼっち。
あの時もみじめだったけれど、愛してくれない夫と踊らなければならない今回と、どちらがより悲惨だろう。
(耐えるしかありません)
夫を愛していないのはシュゼットも同じだ。
よりにもよって夫の補佐と恋に落ちて、結局、彼の手を取れずに別れを告げた。
愛した人と結ばれない苦しみに比べたら、これから自分の身に降りかかる困難はどれも小さく感じるだろう。
シュゼットは人生経験に乏しいけれど、これからの人生でラウル以上に好きになれる男性は現れない。それだけはわかっていた。
「練習に身が入っておられませんね。休憩にしましょう」
手拍子でリズムを取っていた教師が、シュゼットが思い詰めているのに気づいて練習を止めてくれた。
せっかく時間を割いてもらっているのに失礼なことをしてしまった……。
「申し訳ありません。少し歩いて気分転換をしてきます」
シュゼットは一人になるために廊下に出たが、すぐに足を止める。
開けなかった方の扉に背をつけて一人の少年が座っていたのだ。
「リシャール様、どうしてこちらに?」
「そ、それは、その」
ぽっと顔を赤らめて立ち上がったリシャールは、手に持っていたピンク色の薔薇をおずおずと差し出した。
丁寧に棘を落とし、茎にリボンを巻いている。
「庭園で育てた薔薇です。シュゼットお姉さまのおかげで綺麗に咲いたので、お渡ししようと持ってきました。でも、ダンスの練習をされていたので……」
「ずっと待っていてくださったのですか」
シュゼットはダンスの疲れも忘れて膝を曲げ、リシャールが差し出した薔薇に手を伸ばした。
「ありがとうございます。リシャール様からお花をいただけてとても嬉しいです。さっそく私のお部屋に飾ります」
「喜んでもらえて嬉しいです。あの、シュゼットお姉さま?」
「なんでしょう」
きょとんとするシュゼットを、リシャールは熱でうるんだ瞳で見上げる。
きらきらと輝くオレンジ色の虹彩も、薔薇色に染まった頬も、もの言いたげに歪む唇も、まるで神様の像を見上げるように純真な愛おしさに満ちていた。
「僕、早く大きくなります。そのために嫌いなにんじんも食べますし、夜更かししないで眠ります。だから、お姉さまより大きくなったら僕とダンスを踊ってくださいませんか?」
小声で「アンドレお兄さまの次でいいので……」と付け足して、リシャールは俯いてしまった。
何を言うかと思えば、一世一代の告白だったらしい。
真っ赤に染まった耳を見て、シュゼットはクスクスと笑う。
アンドレとの結婚は後悔ばかりだけど、リシャールのようなかわいい義弟ができたことは幸せだった。
「もちろんです。リシャール様と踊るなら、もっともっと練習を頑張らないといけませんね。私はダンスが苦手なので」
「僕も練習します! お姉さまと踊る日のために」
ぱっと顔を上げたリシャールは、それではと一礼すると駆け足で去っていった。
シュゼットは優しい薔薇の香りに包まれて、いつか彼と踊る日を夢見る。
凛々しい貴公子に成長したリシャールと、今より大人になった自分。
その頃には、この胸に詰まった悲しみが癒えていますように。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
この作品を書く少し前から義弟ものにはまっているので、リシャールを書くのは楽しかったです。
シュゼットとリシャールの場合は「兄の妻」と「弟」なので恋愛には発展しない(してはいけないとリシャールもわかっている)のですが、お姉さま呼びキャラ…すごくよくないですか?
一人の男扱いされたいから早く大きくなりたいと思っている義弟がとてもツボなので、またどこかで書きたいと思っています。待っていてください!
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