77話 さよならに変えて
宮殿の脇門にひっそり止められた馬車に向かって、シュゼットは歩いていった。
そよそよと気持ちのいい風が吹く午後。
晴れた空から降り注ぐ陽を、木々がほどよくさえぎっている。
旅立ちにもってこいの日和だ。
小さな帽子を被ったシュゼットを、例の門番が敬礼して待っていた。
彼の姿を見ると、脱走した日が思い起こされる。
(本当にここを出られるんですね)
変装して街に行ったときは、体は自由でも心は宮殿に縛りつけられていた。
けれど、もうシュゼットをとどめるものは何もない。
家も姉も夫も過去も、自分を苦しめてきた全てを残して、新たな人生に踏み出すのだ。
「今までありがとうございました」
「はっ! 元王妃様、お元気で!」
緊張に声を震わせる門番に微笑んで、シュゼットは小道に出た。
遠くに長距離用の馬車がとまっている。
街で雇ったので見た目は粗末だが、メグとシュゼット二人しか乗らないので十分な広さである。
空いたスペースにはおさがり品を詰めたトランクを積んでいる。かなり厳選して、残していく物にはお別れも告げた。
孤児院のガストン先生や子どもたちへの手紙も出した。
リシャールは引きとめてくるだろうから、田舎についたら一筆書く予定だ。
あとは、ラウルだが――。
(もうどのくらい顔を見ていないでしょう)
リシャールの即位式以降、ラウルはシュゼットの前に姿を現さなかった。
シュゼットの方も、彼は国王補佐として忙しく働いているのだろうと思って連絡を取らなかった。
(会えば別れがつらくなりますから)
だからこれでいい。
どうせ結ばれないのなら、このまま離れてしまった方が。
シュゼットは、黄色く色づいた落葉の中を馬車に向かって進んでいく。
乾いた葉はカサカサと音を立てて、シュゼットの足にまとわりつく。
邪魔しないでほしい。
このまま、シュゼットは誰も知る人のいない田舎に向かい、王家や貴族とは距離を置いてただ静かに生きるのだ。
寂しくはない。
だって、シュゼットにはエリック・ダーエという愛しい作家がいるから。
彼がつむぐ美しい物語があれば生きていける。
彼の世界にひたってさえいれば、シュゼットは彼に抱きしめられた夜や、激しく唇を求められた瞬間を、色鮮やかに思い出せるから。
(ラウル様。私はどこにいても、あなたを愛し続けます)
シュゼットは胸を焦がして祈った。
たとえ離れていても。たとえラウルが、シュゼットではない誰かを愛すようになっても、この恋は永遠だ。
「どこに行くつもりだ?」