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64話 裏切りのキスを重ねて

 シュゼットは国王夫妻に用意された控室に入ると、すぐさま床にくずおれた。


「うっ、うう」


 涙が次から次へとあふれてきて、両手で顔を覆ったくらいでは止まらなかった。


「王妃になんかなりたくなかった……」


 こんな思いをするくらいなら、一生ジュディチェルリ家の屋根裏にいればよかった。


 あそこでは、使用人のように扱われて蔑まれても、心だけは自由でいられた。

 エリック・ダーエの小説に胸を高鳴らせ、まだ見ぬ未来を想像して、ひたむきに生きることができた。


 あの日々に比べて、王妃になってからの人生はなんと悲惨なものだろう。


 初夜の晩に、幸せになれる可能性はついえた。

 それ以来、シュゼットは鍵をなくした宝箱に閉じ込められてしまったように、真っ暗な世界であがき続けている。


 孤独が首を締め上げる。

 苦しい。こんなにつらい思いをするなら、いっそ死んでしまいたい。


 お願い、誰か。


「私を殺して――」

「ここか」


 ノックもせずに入ってきた男性の姿に、シュゼットの鼓動が止まった。


「ラ、ウル殿?」


 仕事を抜け出して大急ぎで駆けつけたのだろう。

 いつも身につけている騎士服の袖はインクで汚れていて、髪は乱れ、額には汗をかいている。


 ラウルは、絶句するシュゼットの頬が涙で濡れているのを見て苦しそうに眉をひそめ、強引に抱きしめてきた。


「バルドが知らせに来た。国王陛下が、君ではなく君の姉と最初のダンスを踊っていると!」


 その声は怒りで震えていた。

 舞踏会の一曲目に、国王が別の女性と踊るということは、暗に王妃にはもう興味がないと言っているに等しい。

 シュゼットは、大勢の前で踏みにじられたのだ。


 アンドレの仕打ちは、ラウルの想像を超えたものだったに違いない。

 だからこそ彼は、こんなにも震えている。


「どうして君がこんな目にあわなければいけない。こんなにも素晴らしい女性なのに、どうして大切にしない……!」


「あなたは、陛下を止めに来たのでは?」

「あんな馬鹿、もう知るものか!」


 ラウルはそう言って、力なくもたれかかるシュゼットに頬をすり寄せた。


「すまない。君を傷つけるために結婚させたわけではないんだ……」


 小さな懺悔を聞きながら、シュゼットはそっと目を閉じた。


 ラウルは、アンドレを止めるためにここに来たのではない。シュゼットが傷ついていると思って馬を走らせてくれたのだ。


(どうしましょう。嬉しいです……)


 シュゼットは再び涙をこぼした。

 ついさっきまでの悲痛な表情ではなく、実に幸せそうな顔つきで。


「心配してくれてありがとうございます。私は平気です」

「そんな強がりは言わなくていい」

「強がりではありません」


 シュゼットは目蓋を開けた。

 ラウルを見上げて、平らな頬に、涙で濡れた指先をすべらせる。


「私は、あなたがそばにいてくれるなら何があっても耐えられます。たとえ結ばれなくても、あなたが幸せでいてくれるならそれで十分なんです。大好きです」


 泣き笑いの不思議な表情で言うと、ラウルは目を見開いた。

 そして、感極まった様子でシュゼットの後頭部に手を当てる。


「俺だって、同じ気持ちだ」

「んっ」


 ラウルが噛みつくように口づけてきた。

 冷静沈着な彼らしくない、焦りを感じさせるキスだった。柔らかな感触を味わう暇もなく何度も何度も角度を変えられて、シュゼットの頭がぼうっとする。


(抵抗しなくては)


 でも、体に力が入らなかった。

 愛した人に触れられて、激しく求められる喜びに抗えない。

 気づけば彼の首に腕を回して、もっともっととねだるようにキスにひたった。


 たぶんシュゼットは、ずっとラウルとこうしたかった。

 言葉だけではなくて、彼に愛されている証が欲しかった。


 人は、愛しただけでは満たされない生き物なのだ。

 選び選ばれて、熱を与えあって、やっと安心できる。


(私、あなたと出会えて幸せです……)


 たとえ恋人にはなれなくても、一時の衝動に過ぎなくても、こんなに胸を熱くするキスをしてもらえているのだから――。


 突然、キイと扉が開く音がした。


 ばっと振り向いた二人は、扉の向こうに意地悪な顔つきのカルロッタと、扇を握りしめたミランダを見て戦慄する。


「お姉さま……」


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