61話 王妃が受け継ぐエメラルド
舞踏会というと、いかにも貴族的な催しだ。
貴族令嬢はみんな舞踏会が大好きである。
だってドレスを新調できるし、家に伝わる豪華な宝石を身につけられるし、絢爛豪華な舞踏場に足を踏み入れられる。
まだ見ぬ貴公子との出会いも期待できるとあって、この日に向けて気合いを入れるのが令嬢の務めでもあった。
けれど、シュゼットは舞踏会と聞くだけで憂うつになる。
ダンスが苦手なのだ。
両親が社交場に連れ歩くのはカルロッタだけで、シュゼットはいつも留守番だった。
男性と踊った経験もほとんどない。
最近になって、ダンス教師からステップを徹底的に教え込まれたものの、相手の足を踏まないで一曲踊り切れる保証はどこにもなかった。
「……でも、頑張らなくては。今日は国王陛下と初めて踊るのですから」
今日は王太后が主催の舞踏会だ。
国中の貴族に招待状が送られた豪華なもので、主賓はアンドレとシュゼットの国王夫妻である。
舞踏会の最初の一曲は、主賓が躍ると定められている。
目立つ役どころなので、メグたちが気合いを入れてシュゼットを着飾らせてくれた。
この日のために仕立てたドレスは、フィルマン王国の国旗の色でもある緑をメインにした格式高いデザインだ。
デコルテは大きく開いていて、鯨の骨で曲線を形作ったコルセットは腰を細く締め上げ、広がった三段スカートのボリュームを強調している。
二の腕まであるロンググローブには、王太后が王妃だった頃に使っていた大粒のエメラルドと真珠のブレスレットを巻いている。
メグの話によると、アンドレは前王が使用していたエメラルドのラペルピンを身につけるのだそうだ。
宮廷服もシュゼットのドレスと同じ生地で仕立てた特注品で、いかにも思い合っている夫婦に見えるような仕掛けが施されている。
(私たちの関係は冷え切っているのに……)
恐らくラウルの指示だろう。
彼は、アンドレとシュゼットに理想の夫婦円満らしさを求めている。
そうでないと、結婚の証人になった彼の顔が潰れてしまう。
シュゼットに愛していると言った口で、アンドレに今日だけは王妃と仲良くしろと命じているだろう。
(むなしいです)
シュゼットは一人きりで乗った馬車のなかで、これからアンドレに握られるだろう手を握りしめた。
もしもお揃いの服を着るのがラウルだったら……想像しては落ち込む。
彼を突き放して別れを告げたくせに、いまだに執着してしまっている。
そんな自分が嫌いだ。
「強くなりたいです……」
『なれますよ』
エメラルドのブレスレットがしゃべった。
王家に伝わる品物は気位が高くてあまり声を出さないのだが、今日はシュゼットがしょげていたので見ていられなかったようだ。
シュゼットは、独特なカットを施された四角いエメラルドのふちを指先で撫でた。
「そうでしょうか。今の自分では、どうやっても王妃の立場にふさわしくないと思うんですが……」
『王妃になった女性は、皆そうおっしゃいますよ。前の持ち主だったミランダ様も、お一人になられたときに同じことをおっしゃっていました』
「王太后様が?」
あのミランダにも心折れそうになる日があったのだろうか。
不慣れな宮殿での生活で、夫とすれ違って涙するような女性には見えなかった。
むしろ王妃になれたことを誇り、その立場を活用してのし上がるのが似合いそうな女性なのだが……。
『ミランダ様も困難を乗り越えて王妃らしくなっていったのですよ。あの方はわたしが似合う美しさを持っておられましたが、宮中では苦労なさいました。そんな方も今や王太后です。あなたも逃げずに努力していれば、いつの日か王妃らしい王妃になれましょう』
「はい。頑張ります」
ブレスレットに励まされたシュゼットは、背を伸ばして俯きがちな顔を上げた。
窓に映る自分はベールを被っていない。
化粧のおかげで傷跡は隠れているが、心細そうな表情までは誤魔化せない。
シュゼット自身の心持ちが重要だ。
凛と、気高く、美しく。
まなざしはまっすぐ前に向け、口元で弧を描いて、王妃という仮面を張り付ける。
(私はフィルマン王国の王妃。恐れるものは何もありません)
シュゼットは王妃らしい顔つきで馬車を降りた。
アンドレは先に到着しているようだと、国王専用の馬車が移動していくのを見て思う。
(まずは陛下にご挨拶を)
朝食を共にしていたら挨拶なんていらないが、アンドレとシュゼットは晩餐会でも開かれなけば一緒に食事をとらない。
左右対称に柱が立ったエントランスを抜けて会場に入るが、アンドレの姿は見えなかった。
「あら、お一人?」