59話 本当の父親は誰だ?
アンドレが生まれた年月から逆算して、懐妊の月は見当がつく。しかし、その月に国王は隣国へ出征していた。
アンドレが早産だったという記録はない。
ずっしりした健康的な赤子だったと記されていたことから、妊娠発覚から出産までが順調だったと分かる。
ここから導き出される結論は、一つ。
「国王陛下の父親は、前王ではなかったということですか?」
いぶかしげに宮廷録をのぞき込んでくるバルドに、ラウルは神妙に頷いた。
「アンドレが生まれた前後三年分の宮廷録が紛失していた理由も、これで説明がつく。現国王に前王の血が流れていない可能性を読んだ者に気づかれる危険があったからだ。この時期の宮廷録は、そのまま王太后の不貞の証拠になりえる」
宮廷録を抜き取った対象は、ほぼ定まったようなものだった。
国王を裏切った王太后、そして王太后と密通していた男のどちらか。
もしくは両方だろう。
「まずいな……。敵に回すには大きすぎる」
王太后はいまだ社交界に影響力のある人物だ。
破天荒な人物ではあるのだが、そんな彼女に魅力を感じている貴族は多い。
国内外の有力者との交流もあるため、半端に指摘したくらいでは若造のラウルが吹き飛ばされて終わりだろう。
ルフェーブル公爵家の進退にも関わる。
宰相である父の采配と、アンドレの代理として国政を動かしているラウルが結託して保たれているフィルマン王国の形が、不貞を暴いたことで急転する可能性があるとすればうかつに手を出せない。
どうするか考えていると、コンコンと控えめなノックが響いた。
「どうぞ」
バルドが扉を開けた。顔を出したのは、寝間着姿のリシャールだった。
「ラウル、こんな時間まで起きてるの?」
「少し仕事が立て込んでいまして」
ラウルは宮廷録を閉じて立ち上がり、眉間の皺を指で解く。
「リシャール様はどうなさったんです?」
「なかなか寝付けなくて……。困って夜空をながめていたら、ラウルの部屋に明かりがついているのが見えたから……」
リシャールが公爵家で暮らすようになって数年が経つ。
この家に来た当初のリシャールは、幼くして母親と死に別れ、実の兄に冷たく当たられた反動で、笑いも泣きもしない子どもだった。
ルフェーブル公爵と公爵夫人――ラウルの両親が子ども好きだったこともあり、リシャールを王子として敬いながらも愛情込めて育てた結果、彼は引っ込み思案ながらもきちんと自己主張できるようになった。
しかし、公爵たちはあくまで親代わり。
リシャールがいざというときに甘えるのはラウルだ。
彼を迎える時、自分を新しい兄だと思ってくれと言ったのはラウルなので本望である。
ラウルは、もじもじするリシャールの頭を撫でて微笑んだ。
「そういう日もあります。ホットミルクを持って来させましょう」
「ラウルも一緒に飲んでくれる?」
「いいですよ。寝室に行きましょうか」
バルドにホットミルクとパンを頼み、リシャールの寝室へ移動する。
フィルマン王国の国旗を飾った寝室は、ベッドやサイドテーブルの他に、木馬のおもちゃや大きなぬいぐるみも置いてある。
リシャールが引っ越してくるとき、宮殿から運んできた思い出の品たちだ。
それらの物には前王から贈られた印である、前足を掲げた黒馬が描かれていた。
(側妃は前王からの寵愛が深かった。リシャール様もまた愛された御子として、大切にされていた)
リシャールは聡明で勤勉だ。
アンドレと年齢が近かったら、兄の代わりに国王に立っただろう――。
ありえない過去を想像して自嘲する。
今日のラウルはもしもの想像ばかりしてしまう。
それだけ心が弱っているようだ。
リシャールをベッドに座らせ、肩にブランケットをかけて話していると、二つのカップが届けられた。
片方はリシャール用のホットミルク。
もう一つは、ラウル用のミルクティだ。
湯気の立つミルクをふうふう冷ましながら飲むリシャールとラウルの会話は、いつしか王妃の話題に移った。
「今度はいつ宮殿に行けるかな。また、シュゼットお姉さまとお話しできるといいんだけど。薔薇の調子がみるみる良くなったお礼をしたいんだ。お姉さまは何がお好きなんだろう?」
「リシャール様は、王妃様がお好きなのですね」