51話 図書室へのおとない人
早朝、白んだ空の下をシュゼットは宮殿まで歩いて帰った。
メグは伝言通りシュゼットが宮殿を出たことを誰にも話さないでいてくれたが、心配して門のところで一晩明かしていた。
「おう――シュゼット!」
シュゼットの姿が見えると、メグは傘を放り投げて駆け寄り、がっしりと抱きしめてくれた。
「よかった……。朝までにお戻りにならなかったら、ラウル様にご報告しようと思っていたんですよ?」
「心配かけてごめんなさい、メグ。どうしてもここから離れたかったんです」
一目をはばかって部屋に戻ったシュゼットは、入浴して昨日の泥を洗い流した。
そして少し眠った。
昨晩、エリックはベッドを貸すと言ってくれた。
けれど、彼の匂いに包まれると苦しくなりそうだったので、椅子に座ったまま夜を明かしたのだ。
(ダーエ先生は一晩中、私のたわいない話に付き合ってくれました)
夫が少しも気にかけてくれないこと。
結婚式から二カ月以上が経つのに、まだ初夜も迎えていないこと。
夫の母にそれを知られていて、子どもができないのはお前に魅力がないせいだと罵られたこと――。
思い出すだけで涙が出る話を、エリックは暗い顔で噛みしめるように聞いてくれた。
(それだけで十分です)
眠りから覚めると昼だった。
メグの計らいで体調不良ということになっていて、今日の予定は全てキャンセルだ。
自室で軽食を食べたシュゼットは、エリックに手渡された未完成の原稿を布袋に入れて図書室にやってきていた。
エリック・ダーエの自筆原稿――しかも出版前のものを持っていると知られたら、メグは絶対に読みたがる。
だが、エリックはシシィ以外の人間に読まれたくないだろう。
図書室は宮殿の奥まった場所にある。
並んだ革張りの書物の数々は王族のためのものだが、アンドレもミランダも本には興味がないらしく人気はなかった。
シュゼットは二時間ぐらいしたら迎えに来てほしいとメグにお願いして、書見台に腰かけた。
彼女が廊下に出たのを確認して原稿を取り出し、すぐに読みだす。
「……これは……」
キャラクターと舞台設定に見覚えがある。
恐らく、前王と王太后をモデルに描かれた宮廷小説だ。
国一番の美貌と謳われた田舎令嬢が王家主催の夜会で国王に見初められる。
懐妊が告げられて王妃になるも、誤診だったと宣告されて国王との仲は冷え――。
筆はそこで止まっていた。
「史実を元にしているから宮廷録が必要だったんですね」
書けないのは、ここから先が紛失した年代の宮廷録の内容だからだろう。
早く見つけて渡さないと。
シュゼットが何とかして実家に一時帰宅しようと考えていたら、ギイと音を立てて扉が開いた。
現れたのはラウルだった。
かき上げた金髪と眉間に刻まれた深い皺、鋭い目つきから放たれる殺気は、心が優しい人だと分かっていても恐ろしい。
(ですが、怯えるのは失礼です)
シュゼットはとっさに原稿を袋で隠し、王妃らしい余裕で彼を出迎えた。
「ごきげんよう、ラウル殿」




