44話 夫は弟までも手にかけていた
「うっ、うう……。今日はラウルも来てくれるって言ってたのに……」
シュゼットが席を立って近づいていくと、彼の胸元で揺れるペンダントが話し出した。
『それ以上、この子に近寄らないで!』
十字架をかたどった銀のペンダントは、深みのある女性の声だった。
シュゼットが思わず足を止めると、ペンダントの声が和らいだ。
『リシャール、泣くんじゃないわよ。弱いところを見せたら、この王妃様もミランダみたいにあんたを虐めるかもしれないわ』
「え……?」
話の内容にびっくりするシュゼットに、ペンダントの方も『あんた、あたしの声が聞こえるのね』と驚いた。
『あたしはね、亡くなった側妃様の形見なのよ。側妃様が亡くなってからはこの子と一緒にいるの。だから、ミランダとアンドレが後ろ盾のいなくなったこの子にどれだけ酷いことをしたか知っているわ』
ペンダントの声がわなわなと震える。
『食べ物に毒を入れようとしたり、母親と一緒に手入れしていた薔薇を勝手に切ったりしたの。この子がルフェーブル公爵の元に移ったのは命を守るためよ!』
そんなことがあったのかと、シュゼットは胸を痛めた。
王妃の侍女だった側妃は、没落貴族の家の娘だったので宮殿内での立場が弱かったという。
(一説によると、王太后様の嫌がらせによって病みつきお亡くなりになったそうです)
側妃亡きあとのリシャールもまた、王太后の標的になったのだ。
そして、ルフェーブル公爵家に引き取られた。
(まさか、リシャール様も家族からつらい目にあわされていらっしゃったとは)
すすり泣くリシャールに、シュゼットは同情の視線を送った。
『哀れそうに見ないでちょうだい。この子だってやればできるのよ。今日のテーブルの花はこの子が育てた薔薇だって知ってた?』
「この薔薇が……」
呟くと、リシャールがはっとした様子で顔をあげた。
シュゼットが物と話せるのは秘密なので、慌てずに話をつなぐ。
「このお花、とっても綺麗だと思っていました。リシャール様がお育てになったんでしょう?」
陶器の花瓶に生けられたオールドローズは大ぶりな花がカップのように丸く咲いている。
薔薇は育てるのが難しい花だ。
水はけのよい土に植えないとすぐ病気になるし、肥料の上げすぎもよくない。
愛情込めて手入れしなければ、こんなに見事は花にはならないのである。
リシャールは、土いじりで荒れた指先を隠しながらおどおどと答える。
「は、はい……。宮殿の庭園にある、お母様が遺した薔薇の手入れを続けているんです。で、でも僕では上手に咲かせられなくて……ラウルに植物の本を借りて勉強しています」
「お勉強熱心なんですね。落ち着いたら、一緒に別室にまいりましょう」
ハンカチを取り出してリシャールの涙をぬぐう。
リシャールは、シュゼットを信じていいかどうか悩むような顔つきで、されるがままになっていた。
(無理もありません。自分を苦しめた兄の妻ですから)
その日は、それ以上の会話は続かなかった。
けれど、怯えたリシャールの姿と、アンドレとミランダが彼を虐めていたという話は、シュゼットの脳裏にはっきりと刻まれた。




