40話 なりゆきで二人きり
「は、はい。ダーエ先生が通い詰める喫茶店がどうしても気になって。私は先生の大ファンなので」
エリックに会いにきたのではなく、彼の行きつけが知りたかっただけだと強調する。
彼にとってシュゼットは愛読者の一人であって、それ以上の興味を持たれているとは思っていないはずだ。
(近づきすぎて嫌われるくらいなら、ほどほどに友好的でいいんです)
エリックはシュゼットに向かいの席を勧めた。
素直に座ったシュゼットは、彼の前にある半分ほどになったスフレケーキの皿に目をとめた。
「おいしそうですね。実は、私もさっき注文してきたんです」
「それはいいな。俺はこれが好物だから、君にも気に入ってもらえたら嬉しい。好きな物が一緒だと仲良くなれる気がするんだ」
愛おしそうに微笑まれて、シュゼットの胸はくすぐったくなった。
遠回しに、仲良くなりたいと言われているような気がしたのだ。
思わず小説家と読者の枠を超えて、恋人みたいな関係を想像してどぎまぎした。
赤くなっていると、扉を開けて店主が入ってきた。
シュゼットの前に、一人分の茶葉で入れた紅茶とカップ、丸いスフレケーキを出して、碧色の砂が入った砂時計を逆さにする。
「砂が全部落ちたらカップに注ぐんだ。そこのお坊ちゃまはわざと長く置いて濃く出したのが好きだが、儂に言わせればあれば邪道だよ」
「別にいいだろう。俺は少し渋いくらいが好きなんだ」
「そんな飲み方してたら眠れなくなる。睡眠不足は早死にの元だぞ。長生きしたけりゃ、彼女さんも止めてやりな」
急に話を向けられて、シュゼットはビクッとした。
「わ、私は彼女ではありません!」
「すぐにそうなるさ。ゆっくりしていきな」
店主は片方の頬をくしゃっとさせる独特な笑い方で部屋を去っていった。
扉がパタンと閉まる。
シュゼットとエリックはきょとんと顔を見合わせて、お互いに苦笑いした。
「すまない。店主には後で言っておく」
「いいえ。ダーエ先生の恋人に見られたのは光栄です。私なんて既婚者なのに」
「ずいぶんと早い結婚だったんだな。相手とは恋愛で?」
「いいえ。親が決めた結婚でした。年も離れていますし、性格もあわなかったのですが、取りやめできなかったんです」
からりと打ち明けたつもりだったが、エリックは沈痛な表情に変わった。
ケーキに差し入れたフォークに力が入って、カツンと皿にぶつかる。
「……望まない結婚なら中止にするべきだ。俺の友人は政略結婚したんだが、新婦が気に入らないと逃げ回っているんだ。俺は、そいつに結婚を勧めたことをすごく後悔している」
ふるふると震える彼を見ていられなくて、シュゼットはそっと腕に触れた。
「この話は止めましょう。せっかくここまで来たので、先生が好きなケーキを幸せな気持ちで味わいたいです」
シュゼットが微笑みかけると、エリックは憑き物が落ちたように脱力した。
「すまない。今を楽しもう」
「はい」
砂がすべて落ちたのでカップに紅茶を注ぐ。
スフレケーキはお月様のようにまんまるで、天辺にオレンジのスライスがのっていた。
フォークを差し入れるが、生地が雲みたいに柔らかい。
一口分をすくうように持ち上げて、ぱくりと食べる。
「おいしい!」
シュゼットは、ぱっと顔色を明るくした。
蜂蜜風味のケーキは、舌にのった瞬間にしゅわっと溶けていった。
小食ですぐにお腹がいっぱいになってしまうシュゼットだが、これならたくさん食べられそうだ。
おいしいおいしいと食べ進めていたら、エリックがクスクスと笑った。
「君は素直だな。足りなければおかわりも注文しよう。俺がおごる」
「それはいけません。私の分は、私が払います」
このために、シュゼットは現金を持ってきていた。
実家にいた頃、カルロッタの服のポケットから出てきた小銭を集めていたのだ。
だが、エリックは頑なだった。
「感想を伝えに来てくれた読者に財布を出させたら、店主に笑い者にされる。ここは俺が持つよ。新刊はどうだった?」
「とても面白かったです!」