32話 恋文じゃなくても
ダーエからもらった新刊を宮殿に持ち帰ったシュゼットは、寝室でいそいそとネグリジェに着替えて休み、夜食を持って来たメグに差し出した。
「メグにプレゼントです」
「ど、どうしたんですか、これ!?」
ダーエの新刊ではないですか、とメグは飛び上がった。
「運よく手に入ったんです。私は本を読む気分ではないので、メグが先に読んでください」
「いいんですか。ありがとうございます!」
メグは本を宝物みたいに抱きしめて感激している。
喜んでもらえてシュゼットはほっと胸を撫でおろした。
(宮殿を抜け出して街まで行った苦労が報われました)
リメイク品以外で人を喜ばせられたのは、思えばこれが初めてだ。
本が返還されたのは、それからわずか二日後。
寝不足で目を真っ赤にしたメグが、感想を語り合いたいから早く読んでくれと懇願してきたので、今度はシュゼットの方が驚いてしまった。
「……そんなに面白かったんですか?」
「臨場感がすごかったです。遊びほうける国王の代わりに政治を動かす王妃が、忠臣である騎士に惹かれていくお話なんですが、国王がまるでアンドレ陛下をモデルにしたかのような愚王でして――」
「メグ」
国王の悪口を言うものではないと視線でたしなめる。
メグはゴホンとわざとらしい咳をして、乾かした髪を撫でるシュゼットに一通の手紙を差し出した。
「今日の昼間、ガストンさんから私のところに転送されてきました」
そっけない白い封筒に差出人の名前はない。
(これは、もしやダーエ先生からのお手紙では?)
シュゼットがぎくしゃくした様子で受け取ったので、メグは不思議そうだ。
「誰からのお手紙ですか?」
「お、お友達です。孤児院のお手伝いをしている時に仲良くなった人なんです!」
メグには言い訳する必要はないのに、つい誤魔化してしまった。
彼女もエリック・ダーエの熱狂的な愛読者だ。
もしもこの手紙が作者から送られてきたと知ったら、悪意なく内容を聞き出そうとするだろう。
(ごめんなさい、メグ。これだけは私一人で読みたいんです)
ダーエの小説はみんなのもの。
けれどこの手紙は、エリックがシュゼットにだけ向けて書いてくれた、いわば彼とシュゼットが確かに出会ったと証明するものだった。
心の中で謝って、手紙を胸に当てる。
シュゼットが一人で手紙を読みたがっていると察したメグは、眠る支度を手早く終わらせて出て行ってくれた。
一人で寝室に入ったシュゼットは、ベッドに座って読書灯に便箋をかざした。
『親愛なるシシィ様
あなたからの手紙を待ちきれずペンを取りました。
思いつきから訪れた図書館で自分の読者に会えるとは思っていませんでした。
小鳥のように可愛らしく、そして善良なる愛読者に出会えたことを神に感謝します。
渡した本があなたを楽しませていたなら幸せです。
迷惑でなければまたその美しい声で感想を聞かせてください。
あなたに愛されし小説家より』
恋愛小説家らしい、うっとりするような文章だった。
三度も読み返したシュゼットは、ぽうっとのぼせてベッドにひっくり返る。
「……ダーエ先生から、じきじきにお手紙をいただいてしまいました……」
胸が高鳴っているのは、憧れの人に手が届いたから?
それとも……。
(お返事を書かなければ。でも、今だけはこの気持ちに浸っていたいです)
その晩、シュゼットは手紙を抱きしめたまま眠った。
夢の中にエリックは出てこなかったけれど、満たされた気持ちで休めた久しぶりの夜だった。